レバノンの首都ベイルートの中心部から車で15分ほど。小高い丘の上に、イエズス会系の学校「コレージュ・ノートルダム」の石造りの校舎が見えてくる。1953年に建てられた校舎は、75年からの内戦で多少の被害を受けたものの、いまもほぼ当時のままの姿で学生を受け入れている。
日産自動車前会長のカルロス・ゴーンは54年、レバノンから移住した祖父ビシャラ・ゴーンが定住したブラジル西部の街ポルトベーリョで生を受けた。ビシャラ家のルーツのレバノンに6歳で移り、このレバノン有数の名門校に入学。17歳まで一貫教育を受けた。
多感な少年期を過ごした学び舎(や)にゴーンが寄せる愛着の強さを示すエピソードは多い。母校に通う恵まれない生徒のために、日産が資金を提供する形で「カルロス・ゴーン奨学金」を創設。2014年7月には多忙な合間を縫って卒業式で講演し、「人生はマラソン。何事にも全力を尽くし、私利のためだけでなく、社会の利益に貢献してほしい」と語ったという。
ゴーンが在学した当時、教職員にはレバノン人のほかに、フランス人、スウェーデン人、エジプト人がいた。アラビア語とフランス語、英語が必修。家庭でポルトガル語を使っていたゴーンは、この地で4カ国語を身につけていった。この名門校で多言語を習得したことが、「多様性」を強調する「ゴーン流経営」の原点を形づくったようだ。
ゴーンの言語センスは抜群だった。ゴーンに直接仕えたことがある元部下の一人は「7カ国語を話し、うち英語、フランス語、ポルトガル語、アラビア語はペラペラだった」と回想する。日本語は分からないと言いながらも、前後の文脈を理解して「かなり鋭い指摘をしてきた」という。
「世界征服」めざすボードゲームに熱中
15年10月、日産と仏ルノーの最高経営責任者(CEO)を兼務していたゴーンは、パリのオペラ座近くの高級ホテル「インターコンチネンタル」で開かれたコレージュ・ノートルダムの同窓生の集まりに姿を見せた。250人を前に壇上に立ったゴーンは母校で学んだことを問われ、こう答えた。「規律や組織の意義、それに競争の醍醐(だいご)味だ」
成績順にクラスが分けられ、「…