90後(1990年代生まれ)は仕事に夢を託しがちで、「好きなことで生きていけないわけがない」という彼らの言葉から、強い理想主義の心情がうかがえる。仕事に手厚い待遇を期待すると同時に、労働の中から自由や喜びを得ることも要求し、何もかも手に入れようとする。
しかし汎00後はそのように考えない。彼らは非常に冷静かつ抑制的な態度を示し、「趣味とは安らぎであり、楽しみであり、喜びだ。仕事とはお金であり、生きていくために必要なことであり、達成であり、プレッシャーだ。両者をごちゃ混ぜにしてしまえば、どちらも手に入らない。趣味の独立性を維持するために、趣味と仕事をごちゃまぜにしたくない」という。
また汎00後は、「自分のレベルから考えて、趣味では将来の暮らしにとって持続可能な経済的保障にはならない。比べてみると、頑張って働いてお金を稼ぎ、趣味を続けていくことなら、より確実に実行できる」と考えるのが一般的だ。
大胆さ
汎00後は代わり映えのしない人生、先が見通せるような人生を明確に拒絶する。大学入試に挑戦し、有名大学に入り、就職して、といったお仕着せの人生はいやだと考える。北京大学や清華大学に受かるより、海外に行って違う世界を見たいと考える。たとえ失敗しても、自分で選んだ道だ。短期的なプランしかもたず、目の前のことしかやらず、つかめるものを最大限つかむ、これが汎00後の生き方だ。
生活の中で疑問や困難にぶつかると、汎00後は非常にたくましい行動力をみせる。たとえばある汎00後の場合、「ライ麦畑でつかまえて」のストーリーの背景を深く探求するために米国・ニューヨークへ飛び、人種についての問題意識を抱えて、黒人居住区やかつて殺人事件が起きた場所などに入ってじっくり考えを巡らせたという。
汎00後の目からみると、未知の物事がもたらすのは萎縮や恐怖ではなく、興奮だ。VUCA(現代社会の状況を示す言葉。不安定さ<Volatile>、不確定さ<Uncertain>、複雑さ<Complex>、あいまいさ<Ambiguous>の頭文字をつなげたもの)時代の末裔として、汎00後は未知なるものと変化の中で前進し、自らの実践を通じて生活に対する理解、世界に対する認識を高めている。生活とは死んでよどんだ池ではない。彼らは生活の内面へ未知と変化のシンボルである小石を投げ入れ続け、生命の豊かさを感じようとする。
身なりに構う
汎00後は「顔面偏差値至上主義」の忠実なサポーターだ。彼らにとって美しくあろうとすることは目立つためではなく、顔偏重社会における生存の条件だ。
美しくあるための汎00後の努力のレベルは、私たちが18歳だった頃を遙かに上回る。よりよい外見イメージを構築するため、化粧、服装のコーディネート、体を鍛えること、マナー、飲食のどれも手を抜くわけにはいかない。女性だけでなく、男性も同じように努力する。個人のイメージ構築はバーチャル(仮想)世界にも及び、SNSや電子ゲームをみると、彼らのIDのところにはさまざまな、あるいは高度に統一感のあるアイコンが添えられていることが多い。