湖北省武漢市からはるばる北京にやって来た呉さん(女性)もその一人で、ホテルに荷物を置きに行く時間も惜しんで、姫さんに会いにスケート場にやって来た。自身のファンであることを知った姫さんは呉さんを温かく迎え、自分のスケートの技術をできるだけ伝えようと、熱心に教えていた。そして、別れ際には、自分の扇子を彼女にプレゼントした。
以前、報道を見たある女性が、「スケートを教えてやってほしい」と娘を連れて姫さんのもとにやって来たことがある。姫さんは、「北京冬季五輪に貢献しているんじゃないだろうか?もしそうなら、僕は本当にすごいよな」と話す。姫さんという人はそんな風に自信に満ちているのだ。
姫さんは毎日、規則正しく、充実した生活を送っており、朝は自宅で絵を描き、お昼になるとスケート場へ行き、午後は家事をして、夜は自宅でテレビを見ているという。新型コロナウイルス流行期間中、スケート場が閉鎖され、姫さんはその間もじっとすることはできずに、縄跳びをしていたという。
姫さんの妻も母親も姫さんがスケートをするのを応援していてくれていたものの、二人とも既に亡くなってしまった。そして、最愛の息子も、30年前に先天性の心臓病で亡くなってしまったという。
スケート場には、姫さんの写真集やこれまでの大会で獲得したメダルなどが飾られている。若い時、姫さんはカメラマンをしていた時期があり、1972年から2019年までのいろんな思い出のシーンが写真集に詰まっている。しかし、そこに家族の写真は一枚もない。スタッフによると、家族が亡くなるたびに、姫さんは「見ると悲しくなる」と言って、その遺品を処分してしまうのだという。
しかし、周囲の人は、「姫さんが悲しそうな顔をしているところをほとんど見たことがない」と口をそろえる。姫さんが時々、亡くなった妻のことについて語る時も、とても穏やかな口調だという。生きている限り、生老病死という自然の営みから逃れることはできない。そしてスケートリンクに立てば、姫さんの顔に浮かぶのは微笑みだけだ。
ここ数年、姫さんは英語も独学しており、誰かに会うと、英語を話して、「僕が何と言ったか分かるでしょ?」と聞いている。そんな姫さんの口癖は「happy and lucky」で、「スケートが精神的な充実感をもたらしてくれた。このような楽しみを得ることができたことは幸せな事で、とても幸運」と話す。(編集KN)
「人民網日本語版」2020年9月18日