「大往生だった」。19日に89歳で亡くなった落語家の桂米朝さんは、一門に見守られながら眠るように旅立った。品格ある話芸で落語ファンの心をつかんだ米朝さん。一夜明けた20日朝、米朝落語を引き継いでいく弟子らは「上方落語を大きくしてくれた師匠に感謝」と悼んだ。
記者会見で涙ぐむ桂ざこばさん(右)と桂米団治さん(20日午前、大阪市北区)
長男の桂米団治さん(56)は20日、一門の桂ざこばさん(67)とともに大阪市北区のホテルで記者会見し「大往生というのは、これやなと思いました」と亡き父の最期を振り返った。
米団治さんらによると、米朝さんは19日、入院先の兵庫県伊丹市の病院で一門や家族ら15人ほどに見守られながら、眠るように亡くなった。米団治さんは「全然苦しまずにあちらに行きました。上方落語をこれだけ大きくしてくれた米朝師匠、父に、感謝の気持ちでいっぱいです」と真っすぐ前を見据え、気丈に語った。
昨年秋から4カ月間の入院生活は「徐々に口数が少なくなり、きれいに枯れていったようだった」という。まな弟子だった枝雀さんや吉朝さんらに先立たれた米朝さん。米団治さんは「今ごろ喜んで兄さんたちが作った花道を歩かれているのではないか」と話した。
最期をみとったざこばさんは「亡くなるというのはこんなにきれいなものかと思いました」と号泣した。
米朝さんが戦後、再興に尽力した上方落語の定席となっている天満天神繁昌亭(大阪市北区)周辺では、多くのファンから惜しむ声が聞かれた。天満天神繁昌亭の正面で喫茶店を営む井上和彦さん(70)は「穏やかで、滑らかな語り口で、独特な雰囲気があった。大阪にとって、大きな損失だ」と声を落とした。