事故現場のマンションの前で警備する島中健二さん=3月11日午後、兵庫県尼崎市、伊藤進之介撮影
JR宝塚線(福知山線)脱線事故の現場となったマンション(兵庫県尼崎市)を10年以上、見守り続ける人がいる。大阪市に住む島中健二さん(51)。JR西日本の社員ではない。JR西が委託する警備会社の契約社員だ。
特集:JR宝塚線脱線事故
朝も夜も屋外に立つ。「JRの人殺し」と通行人から3回怒鳴られた。激しい言葉をぶつけられた時は、お辞儀を繰り返し、怒りが解けるのを待つ。指先をそろえ、173センチの細身の体をゆっくり折り、5秒ほど止めて起き上がる。以前は90度に曲げていた。遺族に「そこまで丁寧にされると、逆に気を使う」と言われ、45度にした。
尼崎市生まれ。高校卒業後、父の食堂を手伝ったが、2000年に廃業。母や年の離れた弟と妹を養わなければならない。約1カ月後、たまたま警備員になった。JRとの縁はない。05年12月、事故現場に配属された。仕事の日は2食分の弁当を持つ。妹が作る甘い卵焼きがいつも入っている。
1年半が過ぎた頃、遺族に初めて話しかけられた。「事故現場への近道はどちらですか」「寒い中、ご苦労様ですね」。「思いが伝わったかな」。数年ぶりに服を買って帰った。1500円。警備服の下に着る白いTシャツだ。
訪ねてくる人の顔は50人ほど覚えた。でも名前や、犠牲者との関係はほとんど知らない。「警備員が話しかけるのは、出過ぎたふるまい」と考えるからだ。何と声をかければいいのか、10年経ってもわからない。「ご遺族様は、特別な思いを抱いて現場に来る。愛する人との時間を邪魔したくない。周りの木々だと思ってもらえればうれしい」
マンション脇に地蔵がある。遺族が花や缶コーヒーを供えていく。日にちがたち、傷んだ花を見るのは、つらいだろう。ある日、枯れた花をよけた。いつしかそれが日課になった。
3月の月命日に訪れた男性は、島中さんを「いつも、ただそこにいる人。でも、JRがふだん口にする『誠心誠意』とは違い、ほんまの『誠心誠意』を持っている人」と表現した。JR西のある社員は、訪れる遺族にちょっとした対応が必要な時、「僕らのお願いを聞いてくれないご遺族も、島中さんのお願いは聞く」と明かす。