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ハンセン病隔離法廷で死刑に 菊池事件、真相求め50年

作者:佚名  来源:asahi.com   更新:2016-4-18 8:45:50  点击:  切换到繁體中文

 

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菊池事件で、男性が逮捕された現場を訪れた志村康さん。男性は後方で警官に追い詰められ、拳銃で撃たれたという=3月11日午後、熊本県菊池市、上田幸一撮影


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ハンセン病患者とされた男性が殺人罪などに問われ、死刑となった。隔離された「特別法廷」での審理が正しく行われたのか。死刑執行から50年以上たった今も、真相究明を求める声がやまない。熊本県で1950年代に起きた「菊池事件」。最高裁が検証を進めている特別法廷で唯一の死刑事件で、再審弁護団は改めて冤罪(えんざい)を主張し、再審を求めていく方針だ。


ハンセン病「隔離法廷」の違法性、最高裁が問う


菊池事件では、1952年に村役場職員が刺殺された殺人事件で罪に問われた男性被告が無実を訴え続けたが、死刑となった。一、二審の公判は、感染の恐れなどを理由に裁判所ではなく、特別法廷として国立療養所菊池恵楓園と菊池医療刑務支所内で開かれた。特に一審は4回の公判で結審し、国選弁護人が全証拠の提出に同意するなど弁護も不十分だったとされる。


上告審で弁護団は「ハンセン病への偏見から誤った事実認定がされた」と冤罪(えんざい)を主張し、弁論では「傍聴人もごく限られた少数で、特殊の形態の裁判が行われた」と特別法廷の問題点も指摘した。しかし、主張が認められることはなく、最高裁は上告を棄却した。


国が設けた「ハンセン病問題に関する検証会議」は2005年公表の報告書で菊池事件の特別法廷を「いわば『非公開』の状態で進行した」と指摘。「憲法の要求を満たした裁判だったといえない」と総括した。


だが、社会に差別や偏見が残る中、再審請求権を持つ男性の遺族は慎重だったという。このため、菊池事件再審弁護団は検察官による再審請求を求め、12年に熊本地検に要請書を提出。13年には特別法廷の正当性の検討を最高裁に要請した。これが契機となり、最高裁は14年、調査委員会を設けて検証を始めた。


ハンセン病を理由とした特別法廷は1948~72年に95件。うち27件は2001年の熊本地裁判決が国の隔離政策を違憲と判断した1960年以降に最高裁が認めていた。最高裁は、こうした過去を総括する報告書を月内にも公表する。


一方で、最高裁は「裁判官の独立」を理由に、今回の検証では個別事件についての判断には踏み込まない見通しだ。このため、再審弁護団は、今後も菊池事件に対する再審請求の運動を続ける。死刑判決は57年に確定したが、弁護団は再審請求と棄却が60年以降も行われた点に注目。司法自ら過ちを正す責任を訴え、大規模な署名活動を行うことなどを検討している。


再審弁護団の徳田靖之団長は「死刑という重大な結果も含め、ハンセン病への差別・偏見にとらわれて司法がおかした過ちを象徴する事件だ」と指摘する。


■証拠に矛盾点の指摘も


茶畑や杉林が広がる熊本県菊池市の山あい。無実を訴えながら1962年に死刑になった男性(当時40)は出身集落の墓所に眠る。


3月中旬、菊池恵楓園(熊本県合志市)の入所者自治会長、志村康さん(83)は墓所に赴き、その前で合掌した。死刑の前日、男性に面会した時の記憶は鮮明だ。「別れ際に握った手のぬくもりが、今も残っています」


自治会は、近くの菊池医療刑務支所にいた男性を支援した。志村さんは男性に家族の様子を伝え、差し入れもした。「ハンセン病患者は人間と思われていなかった。だから、彼は憲法違反の裁判で裁かれ、死刑になった」。志村さんは怒りを込めて振り返った。


男性は、残した手記で特別法廷にふれている。証拠になった男性の所有物を扱う際、裁判官らがゴム手袋をして「三尺もある長い箸」で挟んで男性に示したといい、「病気を恐れてのひどいものであった」と差別的な扱いを非難した。


証拠にも矛盾点が指摘されている。男性は警察官に銃で撃たれ、大けがして逮捕された後に自供調書が作られ、公判で否認を続けた。一審の裁判官は後に朝日新聞の取材に答え、事件当夜、男性に犯行を告げられたという親類の供述や凶器の短刀を有罪の根拠に挙げた。だが、弁護団によると、親類は弁護団の聞き取りに供述内容を否定。凶器の短刀も当初の「草刈り鎌」から変更され、鑑定で血痕は検出されなかった。


再審弁護団の顧問、内田博文・神戸学院大教授(刑事法)は「手続きに重大な問題があれば、その下でなされた事実認定は誤判の可能性がある。判決を受けた元被告らの声も検証し、必要な被害救済や名誉回復をするべきだ」と指摘する。(籏智広太、奥村智司)



〈菊池事件〉 現・熊本県菊池市の村役場男性職員宅でダイナマイトが爆発した1951年の殺人未遂事件で、勾留中だった当時29歳の男性が52年6月、菊池恵楓園内の代用拘置所から脱走。その3週間後に職員が刺殺体で発見された。男性は殺人などの疑いで逮捕され、無実を訴え続けたが、57年に死刑判決が確定した。


役場職員は担当者として男性がハンセン病患者だと県に報告し、男性は療養所への入所を勧告されていた。全国に広がった「無らい県運動」が背景にあり、裁判では通報を恨んでの犯行とされた。患者団体などが再審を求めて運動したが、3回目の再審請求が退けられた翌日の62年9月14日、福岡刑務所で死刑が執行された。




 

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