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認知症患者の「最期の医療」、意思の確認に悩む現場

作者:佚名  来源:asahi.com   更新:2016-5-23 9:44:48  点击:  切换到繁體中文

 

写真・図版


認知症診療の情報提供と対応


誰にも訪れる人生の最終段階に、どんな医療を望むか。それをどう実現するか。2月から3月にかけて、「最期の医療」としてみなさんと考えました。そこで十分に触れられなかったのが「認知症」です。また、人生の最終段階を区切る難しさについても、メールなどで寄せられたご意見をもとに、現場をさらに取材しました。


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枕草子に「ななくりの湯」として登場する津市の榊原温泉の近くに榊原白鳳病院があります。もの忘れ外来の認知症専門医笠間睦さん(57)は4月、定期的に診察する認知症患者の意向を確認していました。


「『人生の最終段階における医療』に関する意識調査」です。「口から食べられなくなった時にどのような医療を希望しますか」と患者に尋ね、「自然な最期」「末梢(まっしょう)からの点滴」「(鼻から管を通し人工的に栄養を流す)経鼻経管栄養」「(胃に穴を開け体外から通した管で栄養剤を入れる)胃ろう」「高カロリー輸液」「医師に任せる」「その他」から選びます。患者が答えられない場合は家族が答えます。


認知症患者に最期の医療の希望を聞くこと自体が珍しい試みです。2年前も29人の患者に同じ調査をしました。「自然な最期」と「点滴」が合わせて18人、経管栄養や胃ろうを希望した患者はいませんでした。


2年前にも調査を受けた人が今回8人いましたが、みな前の調査を覚えていませんでした。それでも、それぞれ前回と同じ項目を選びました。「患者が尊厳ある生を全うするため、判断力が衰えても定期的に意向を確認することが大切だ」と笠間さんは言います。


認知症患者の「最期の医療」の選択には独特の難しさがあります。選択にあたっては患者本人の意向の確認が不可欠ですが、選択を迫られる時点では本人の判断能力が落ち、意思表示できない場合があります。あるいは、意思が示されても「本当に本人の希望とみなしていいのか」という疑問がつきまとうといいます。


厚生労働省の「人生の最終段階における医療の決定プロセスに関するガイドライン」によると、患者の意思・事前指示の尊重が最優先で、それが明確でない場合、次善の策として、患者の意思を推定して代行判断します。推定できなければ、家族・医師が、患者の最善の利益を判断することになります。でも、日本の医療現場では、患者の代行判断のはずが、家族や医師の希望がそのまま最期の医療の方針となることが往々にしてあります。笠間さんは「家族だけでなく医師も『代行判断』の意味をはき違えている」と話します。


こうした事態を避けるため、認知症がまだ進んでいない初期の段階に、あらかじめ患者の希望を聞いておく必要があります。ただ、その前段の患者への告知は十分には行われていないのが実情です。2010年に首都圏の認知症患者の家族を対象に行われた調査で、本人に病名が告知されたのは半分以下。終末期の説明がされたのは「ある程度」を含めても2割でした。


調査した首都大学東京教授で認知症治療の第一線に立つ繁田雅弘さんは「告知は増える傾向にあり、よいことだ」としながらも、一方で「『アルツハイマー病です。治らない病気です』などと、行き届かない告知をされ、混乱したり落ち込む方もおられます」と言います。


繁田さんは、患者が今後に希望を抱ける説明を心がけるべきだといいます。「放置すれば早い段階で物忘れが激しくなりますが、適切な治療とよいケアを受ければ、軽症か中程度の症状のまま、自分らしい人生を全うできます」という具合に。そのように医師が患者との間に信頼関係を築いた上で、患者の「最期の医療」に医師と患者がともに思いをはせてみる。そうすれば「徐々に患者は最期のあり方を考え、死を見つめるようになる。その思いを家族や医療者と共有すれば終末期医療に反映される」と繁田さんは言います。


認知症患者の「最期の医療」には、別の大きな問題もあります。「どの段階からを終末期とするのか、判断が難しい」(会田薫子・東大特任准教授)ことです。


笠間さんが担当する女性患者(83)は、アルツハイマー病が進み肺炎を併発して6年前に入院。以来、意識が戻らないまま「一日でも長生きしてほしい」という家族の希望で鼻から管を通して栄養を受け続けています。「入院時に病状からすでに終末期だと判断した」と笠間さんは言います。しかし、丸6年、栄養を受け続ける状態に「これを人生の最終段階と判断していいのか」という疑問も浮かぶそうです。(畑川剛毅)


■話し合っていたけれど


「元気なうちに家族で話し合いをして最期をどうするか決めていても、医療機関との合意はなかなか進まないものだと実感しています」


こんなメールを送ってくれた札幌市の女性(68)を4月に訪ねました。女性は元保健師で、重い脳梗塞(こうそく)で寝たきり状態になった義母(89)のことを語ってくれました。


北海道北部でひとり暮らしをしていた義母は昨年2月末、自宅で倒れているのが見つかり、救急搬送されました。女性は主治医に「残念ながら助かりません。助かったとしても植物状態です」と告げられました。


女性は義父が亡くなった2002年以降、義母のもとへ札幌から月に数回通い、身の回りの世話をしてきました。終末期の医療についても話し合ってきました。「管につながれて何もわからぬまま長生きはしたくない」。義母はそう言っていました。


搬送先の病院で、主治医に義母の思いを伝えました。義母は一命を取り留め、女性は4日間付き添った後にいったん札幌に戻りました。その数日後、義母は経鼻栄養が始まりました。事前に相談がなかったことを女性が抗議すると、主治医は「餓死させることはできない」と答えたそうです。


義母は昨年3月下旬に札幌市内の病院に転院。そこでは経鼻栄養の管は抜けないと言われました。その後、市内の高齢者施設に移りました。胃ろうをつけることが条件だったため、受け入れました。今も同じ施設に入所しています。


厚生労働省のガイドラインでは、患者本人の意思を尊重し、家族らとの話し合いを重視するとなっています。なぜ家族に相談しないで経鼻栄養を始めたのか、当時の主治医に会って理由を聞いてみました。


「回復させるには栄養が必要です。当時、(義母は)意識レベルが回復しつつあり、『終末期』には当たりません。点滴の際に家族に説明しないのと同じように、経鼻栄養も説明しません。経鼻栄養の選択は間違っていないと考えています」。主治医はこう説明しました。


女性は、この病院の対応に納得していません。「義母は当時から反応はほとんどありません。『終末期』であり、経鼻栄養が延命措置であることは明らかです。義母の意思を尊重してほしかった」(田内康介)


■寄せられた意見は


2月の朝日新聞デジタルのアンケートに届いた声の一部です。


●「人生の最期を考える時、『治る見込みのない病気』の場合よりも、認知症になった場合のほうが不安。自分の最期を自ら決定できるルールがあっても良いと考えます」(神奈川県・50代女性)


●「父が肺がんで亡くなった時のことを思うと、どこで最終段階と見極めるか、誰が判断するのかが難しいと思う。また心の準備も必要。父は病院での治療の可能性にずっとのぞみをつないでおり、高齢の母も父の死が近づいていることを不思議と実感していなかったから」(東京都・50代女性)


●「癌(がん)のように命の期限がある程度わかるケースと認知症や年齢を重ね徐々に体の機能が衰えていくケースとでは、医療に望むことは大きく変わると思います。自力で食事が取れなくなった場合、どこからが延命治療なのか、意思表示が出来なくなった時の治療の判断は誰に託されるのか。人が人として自分の人生を終えるために、年齢を問わず元気な人がお互い様の心意気で出来ることは無いのか。限られた医療資源と財源をどう活用するのか。全ての世代が考える時に来ているのかも知れないと感じます」(京都府・50代女性)


●「母親が若年性認知症です。本人の意思はもう聞けません。最期をどう迎えるか考えなくてはいけないのに今も考えることから逃げています。後悔のない答えは出ないと思ってはいるけれど」(神奈川県・30代女性)


●「医療は健康期間を延ばすためのもので非健康期間を延ばすために利用すべきではないと考えます。問題となるのが、その境界が曖昧(あいまい)であるということです。私見としては、その曖昧さは、身体的側面だけでなく心理的側面も多分に関わっているからだと考えます。言い換えれば、当該治療が『延命』にあたるかどうかは、その人(患者もしくは家族)の死生観が問われているのだと」(神奈川県・40代男性)


■取材するうちに心持ち変わった


この数カ月間、断続的に最期の医療の取材を続けてきました。特別養護老人ホームや療養型病床で、管につながれ、ただひたすら眠りながら生きる方を見ました。「自分はどんな姿になっても、1分1秒でも長く生きたい。だから患者さんにも同じ医療を提供する」と断言する医師の話を聞きました。安楽死を熱く語るジャーナリストにも会いました。


がん看護専門看護師にも、認知症専門医にも「日本人は死を忌避しすぎだ。死を見つめ直せ」と指摘されました。最期の医療のあり方は、万人がうなずく正解がない問いです。だからこそ、考え続けなければいけない。取材するうちに「さて、どんな死に方がいいかな」と、これまで思いもしなかった問いを心に浮かべる自分がいて驚くと同時に、心持ちが変わり、死を思うことも悪くないなと感じるようになりました。これからも取材を続けます。みなさんも、自分の最期をイメージしてみてはいかがですか。(畑川剛毅)



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