盛岡大付の三塁側アルプス席で森俊祐君(右)との再会を喜ぶ猪瀬正雄さん=13日、兵庫県西宮市の阪神甲子園球場
「甲子園で会おう」。2012年5月、東日本大震災で被災した岩手県大船渡市の仮設住宅。支援物資を送り続けた大阪の男性が、被災地の野球少年と交わした約束が、この夏、実現した。少年は盛岡大付(岩手)に進み、甲子園にやって来て男性と再会した。
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13日、盛岡大付―創志学園(岡山)戦。三塁側アルプス席で応援していた盛岡大付の左腕投手・森俊祐君(2年)が専門学校非常勤講師の猪瀬正雄さん(71)=堺市南区=から「よう!」と握手を求められた。
2人は被災地で出会った。東日本大震災が発生した11年3月。猪瀬さんはラジオで「大船渡市は個人からの支援を受け付けている」と聞き、5月に市役所に問い合わせた。レトルト食品、缶詰、夏物のふとん……。電話口の女性が求める物資を慌てて書き取った。通っている教会での催し物や知人らからお金を集めて買いそろえ、大船渡市に送った。
数日後、帰宅すると留守番電話に丁寧なお礼の言葉が残されていた。電話対応をしてくれた大船渡市の非常勤職員、森和香子さん(51)だった。津波で自宅は全壊。家族と避難所生活を送りながら市役所の物資受付窓口で働いていた。
猪瀬さんからの支援はその後も続く。いつしか電話だけのやりとりに手紙も加わるようになった。「地震が日に何度となく起こります。何とも言えない不安に襲われるのです」。「心の整理はつきません」。次男の俊祐君が中学に進学することを知ると、猪瀬さんは辞書と図書券を贈った。
12年5月。猪瀬さんは森さん一家が暮らす大船渡の仮設住宅を妻と訪ねた。「これからも大船渡を支えていきたい」との思いがあり、被災地の現状を目に焼き付けたかった。仮設住宅で出会ったのが当時中学1年の俊祐君。学校のグラウンドには仮設住宅が立ち、野球ができないでいた。父松男さん(51)の運転する車で広場を転々としながら野球を細々と続けていた。
中学や高校で軟式野球の監督経験がある猪瀬さんは俊祐君とキャッチボールをした。「甲子園で会おう」と何度も励ましてきた。その言葉を胸に俊祐君は岩手の強豪盛岡大付に入った。
この夏。俊祐君は岩手大会の開幕前にベンチ入り選手に選ばれたが、手のまめをつぶし大会直前に外れた。チームは甲子園へ。16日に鳴門(徳島)に敗れるまでの3試合、猪瀬さんは選手を見守り、俊祐君は応援に声をからした。「来年はこのマウンドに立てよ!」と励ます猪瀬さんに、俊祐君は力を込めて返事をした。「はい!」(長谷川健)