片桐且元が西本願寺宗主の准如に宛てた書状。大坂方から徳川方に謝罪が伝えられていることを記している=30日、京都市下京区、久保智祥撮影
大坂冬の陣で、徳川方についた武将の片桐且元(かつもと)が西本願寺宗主(門主)に和睦の交渉経過を知らせた書状が見つかった。龍谷大学大宮(おおみや)図書館(京都市下京区)が30日、発表した。和睦が近く成立する見込みであることをリアルタイムに伝えた貴重な資料だという。
真田太平記
同図書館が東京都内の古書店から7月に入手。本願寺史料研究所の大喜(だいき)直彦(なおひこ)・上級研究員が調査した。且元は豊臣秀頼の側近中の側近でありながら、方広寺鐘銘事件で徳川方への内通を疑われ、大坂城を退城。冬の陣では徳川方として戦った。
書状は冬の陣が始まって約2カ月後の慶長19(1614)年12月18日付。西本願寺の12世宗主准如(じゅんにょ)に、弁当などの差し入れを受けたことの礼を伝えつつ、大坂城北側の備前島で、大坂城を攻めていると報告。大坂方より謝罪を伝えてきており、近日中に和議が成立する見込みだと記している。冬の陣は実際、翌19日に和睦が成立している。
大喜さんは「徳川方が勝利を確信し、強気で交渉していたことが分かる。西本願寺宗主は戦況をいち早く知りたかったのだろう」と話す。
書状は同大学大宮学舎本館で13~21日に公開される。無料。(久保智祥)