取材を通し、芸大生に親近感と感謝の念を抱いたという二宮敦人さん=佐藤正人撮影
東京芸術大学の全14学科の学生の実態を取材した本「最後の秘境 東京藝大 天才たちのカオスな日常」が話題です。卒業生の半数が進学も就職もせず、生協ではガスマスクを販売するなど驚きの事実の一方で、将来に不安を抱きながら芸術に向き合う学生の姿が描かれています。著者の二宮敦人さんに芸大生の魅力や、自身の受験体験について聞きました。
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■とにかくまじめな芸大生
取材を始めたきっかけは、妻が面白かったから、ということに尽きます。妻は芸大彫刻科の現役学生。あるとき「いまは何を作っているの」と聞くと、「(木などを彫る)ノミを作っている」。意外すぎる答えで、自分はよほどこの学校を知らないんだと痛感しました。最初は主要な学科だけをまわろうと思っていたのが、一人一人聞いていくと、それぞれが独自の世界を持っていて奥が深い。「主要という考え方自体が間違っていた」と、全学科をまわることにしました。
妻の友人から始まり、人を伝って伝って、芸大生40人近くを取材しました。本に登場した「芸大に口笛で入った男」や、からくり人形を手がける「現代の田中久重」など芸大で「天才」と呼ばれる人たちにもその中で出会いました。僕が小説を書いているということもあって、売れる作品と自分の作りたいものとの葛藤など、作り手として共通するジレンマに話が盛り上がることもありました。
学科にもよりますが、芸大を受験する時点で、食えない世界に飛び込む覚悟みたいなものがあるようです。当初は芸大生は変、奇抜というイメージでしたが、取材を進めるうちに、みなとてもまじめに芸術に向き合っていることがわかりました。目立つために奇抜なのではなく、いろいろ考えた果てに何も知らない人からはそう見えてしまうようになったという感じ。その姿に親近感がわき、感謝や尊敬の念も抱くようになりました。トライアングルの音をひたすら追究するとか、僕にはできません。でも彼らが追究してくれるおかげで、その恩恵にあずかりながら、僕は生きていける。
一つ印象的なことがありました。本の原稿ができあがった時、全員に確認をお願いしたんですが、原稿を送る前にOKを出した人がいたんです。理由を聞くと、「あなたが私の話を聞いて表現しようとしたことに、口を挟む気はない。やりたいようにやって欲しい」と。自身が表現者だからこそ、他人の個性も尊重する。そのすがすがしさは、本当に芸術に真摯(しんし)に向き合っているからこそ出てくるものだなと感じました。
■小説は就活のうっぷんを晴らすため…
僕自身は小説家になろうとして、なったわけではないんです。小説を書き始めたのは就職活動中。面接で落ちまくりまして。そのうっぷんをはらすため、ホラー小説を書いたところ、それが社会人1年目で出版。幸いにも売れて、お仕事をいただけるようになりました。しばらくはIT系の会社に勤めていたんですが、3年目で辞めました。
辞めた理由には、仕事上での理想と現実の違いもありますが、もう一つ。実は小さい時は体が弱く、何度か死にかけているんです。そのせいで、日本に負債があるような意識があります。豊かな日本だから生き残れたんだと、生き残ったからには自分にしかできないことで還元しないといけないという感覚です。会社員として働くよりも、小説の方が僕にしかできない要素が多く、負債も早く返せるんじゃないかと思いました。
■受験が自信をくれた
大学受験では浪人しました。高校は進学校にいたものの、成績は下から数えた方が早いぐらい。学校の授業が全然わからなくて、まじめに聞いてもわからないので聞かなくなったら成績が急降下して。1年目は全部落ちました。でも浪人が決まってから一念発起して、数学を中3くらいからやり直したりしたんです。そうしたら、すごく成績が上がりまして。「あれ、やればできるじゃん」と。自分に合うやり方を見つければ、できるんだっていう自信がついたのが受験でした。
芸大生への取材や自分の経験からも言えるのは、真剣にやったら道は開けるということ。真剣というのは、ただがむしゃらにやるということではない。意地になっていないかとか、やり方はこれでいいのかとか、そうやって振り返ることも含めて一生懸命にやれば、どこかに活躍できる場所は必ずあると思います。
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にのみや・あつと 1985年東京都生まれ。一橋大経済学部卒業。2009年に「!」(アルファポリス)でデビュー。「郵便配達人 花木瞳子が顧り見る」「占い処・陽仙堂の統計科学」「一番線に謎が到着します」など著書多数。初のノンフィクション作品「最後の秘境 東京藝大―天才たちのカオスな日常―」がアマゾンの高等教育部門でベストセラー第1位になるなど話題に。(聞き手・神崎ちひろ)