敗れた選手に拍手を送る呉の応援席=25日、阪神甲子園球場、筋野健太撮影
(25日、選抜高校野球 履正社1―0呉)
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25日の第2試合で履正社(大阪)と対戦した呉(広島)。広島県呉市の学校としては54年ぶりの甲子園出場となり、スタンドは地元から来た多くのファンの歓声であふれた。
試合は池田吏輝(りき)君(3年)が好投したが、0―1で惜敗。アルプススタンドには市民ら約1800人がバス約20台や新幹線で駆けつけ、応援歌で選手を励ました。新田旬希(しゅんき)主将(3年)は「応援の声が聞こえてきて力になった。感謝しかない」。
呉市は元々、初代ミスタータイガース・藤村富美男さんや巨人でプレーした広岡達朗さんらが輩出した野球の盛んな地だ。戦前には前身の大正中を含め呉港(ごこう)中が6年連続で夏の甲子園に出場。だが、1963年の選抜に呉港が出て以来、甲子園から遠ざかり、いつしか「呉から甲子園」が市民の夢となった。
そんな中、2007年に呉に野球部が誕生する。「市民に希望を与えるような野球部を」との思いを受け、尾道商(広島)を3度選抜に導いた中村信彦さん(62)が監督に就いた。
野球部はすぐに強くなったわけではないが、中村さんは「野球が好きな地元の子たちが集まってきた」と振り返る。市は野球部のため近くのグラウンドを優先的に貸し出すなど支援。保護者も選手を支えようとブルペンやスコアボードを設置したり、屋根のついた観戦スペースを手作りしたりした。
12年には春の県大会で4強入り、15年には夏の広島大会で決勝進出。そして、昨秋の中国大会で準優勝し、創部10年で甲子園の切符をつかんだ。
選抜出場が決まると街は喜びに沸いた。商店街や駅、市内を走るバスなどには出場を祝う幕が飾られ、市役所には「応援に行きたいがどうすればいいか」との問い合わせが相次いだ。同市が舞台となった映画「この世界の片隅に」のヒットでも町は盛り上がる。呉中通商店街振興組合の小松慎一理事長(58)は「町が一つになるきっかけにもなっている」と語る。
二塁手の奥田一樹君(3年)は同市豊町の出身。市中心部から約30キロ離れ、橋でつながった島だが、ここにも地元の有志による横断幕が飾られている。この日の試合では、外野に抜けそうな打球を捕らえるなど、好捕でピンチを救った。「呉の人を元気づけるプレーができた。夏にまた連れて来られるように成長したい」と笑顔を見せた。(小林圭)