朝日新聞デジタルのアンケート
忖度(そんたく)という言葉自体に良いも悪いもない。朝日新聞デジタルに届いた多くの意見は、忖度する動機や状況、それに伴う行為が問題なのだと指摘しています。一方で、私たちは歴史的な場面に立ち会っているのかもしれないという、言葉の専門家がいます。先週、紹介した一つの意見について、寄せられた指摘についても調べました。
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言葉の専門家から、「忖度」の使われ方はどう見えるのでしょうか。小学館で「日本国語大辞典」などを担当し、辞書作りひとすじ38年目の神永曉(さとる)さん(61)に聞きました。
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忖度の文字は、中国最古の詩集「詩経」に見えます。日本の文献では、平安時代、菅原道真の「菅家後集」に出てきます。その後の用例はごく少なく、明治になって増えますが、「推量する」以上の意味合いはありませんでした。全13巻に及ぶ日本最大の辞典、日本国語大辞典でも、【忖度】は「他人の心中やその考えなどを推しはかること」と解説するだけです。
それが近年、推量したうえで「何か配慮して行動する」という意味が加わってきました。「政権の意向をメディアが忖度する」といった使われ方にはマイナスイメージも伴っていて、少し残念な気がしています。
この用法なら「斟酌(しんしゃく)」の方がふさわしいはず。この言葉には、まさに「ほどよくとりはからう」「気をつかう」という意味があるからです。
ただ興味深いことに、斟酌もさかのぼると推量の意味しかなく、後から配慮の意味が加わってきた言葉なのです。忖度は、意味もその経緯も「斟酌化」しているとみることができます。
斟酌ではなく忖度が使われるようになった理由は、正直、よく分かりません。「そんたく」という響きが重々しく、格式ある場にふさわしいと感じられるからでしょうか。
難しい言葉が本来とは違う意味で使われるという例なら、「忸怩(じくじ)」があります。「恥じ入る」ではなく、「残念だ」というニュアンスでよく聞かれるようになりました。
忖度でおもしろいのは、森友問題で注目されると、瞬く間に国会の外でも使われるようになったということです。みなさんの気持ちや経験にぴったり合ったということなのでしょう。朝日新聞デジタルのアンケートでも、「知らなかった」という声が多く、推量し配慮する意味での「忖度」ならさまざまな組織で見聞きするという意見が目立ちました。
千年単位で伝わる漢語由来の意味が変わり、一気に広まる。そういう場面に立ち会っているのかもしれません。感動すら覚えます。これから出る辞書は、その変化を考慮した解説にせざるを得ないでしょう。(聞き手・村上研志)
■アンケートに寄せられた意見
アンケートに寄せられた、忖度の是非をめぐる意見の一部です。
●「忖度こそが日本の美学ではないでしょうか? 誰もが成長と同時に身に着ける常識感! この感覚が無い、あるいは薄い人が増えたことにより世知辛い世の中へと変貌(へんぼう)してきたのではないでしょうか。よく出来る社員やよく気の付く人とは? 結局人の気持ちを推し量る習慣が身についている人ではないかと思います」(大阪府・40代男性)
●「若い頃は、社会人として必要なこととして積極的にやっていました。しかしある時、上司と私の意見が異なった場面で、明確な指示・命令なしに上司の意思をくんだ対処を要求されました。組織なので、意見は違っても上司の指示に従うことは構わなかったのですが、“自分が責任を取る”という態度を示して欲しいと思いました。それをきっかけに、上司は明確に指示・命令を出すべきであり、部下も『これは上司として指示を出してください』と言えるような関係が望ましいと思うようになりました。忖度は責任の所在をあいまいにできる、責任を取る立場の者にとって都合の良い慣習だと気づきました」(広島県・50代女性)
●「流通業界で仕事をしていますが、忖度しながら仕事をしたほうが仕事が早いです。特に小売店バイヤーもはっきりこうしてくれ!というよりは、察してくれという感じで要望が出されることが多くあります。こうした際に相手の気持ちを感じ取れるかどうかで仕事のスピードは全く違ってきます。また相手に直接言わせてしまっては元も子もないという気もします」(東京都・40代女性)
●「日常生活では『あうんの呼吸』など人間関係を円滑にする潤滑剤になるので、必ずしもいけないとは思わない。しかし、ビジネスでは先回りして準備するなどのことはしても便宜を図るためのおもんぱかりはよろしくない」(東京都・40代男性)
●「忖度は日常生活、特に対等な人間関係においては、潤滑油でありなくてはならないものだと思うが、ピラミッド型の権力構造で忖度が働けば上の人間が自分の意思に基づく権力を責任を負わずに行使することが可能となる。政治において権力行使をする人が責任を負わなければタガが外れ国民に被害が及ぶと思う」(東京都・20代男性)
●「文化的な部分もあるが、慫慂(しょうよう)と忖度は日本社会の病巣だと思う。慫慂という形で潜在的な要求を突き付け、相手に忖度という形で潜在的な受容を迫る。その実態は、表向きには表明できないような要求を、両者の力関係を背景に迫っているものであり、静かな恫喝(どうかつ)とも言えるものだ。補助金や許認可権限を背景とした天下り要求、職場内での力関係を背景としたパワハラやセクハラ、集団内での影響力を背景とした理にかなわない不当要求など、慫慂と忖度は様々な問題を引き起こしているので、無くした方がよいだろう」(愛知県・40代男性)
●「公的なことがらに属すのであれば、忖度は絶対にあってはならない。というのは、『公』は透明な情報公開を成立の条件とするためだ。これは、情報・人を問わず同様で、文書ならば全て公開し、公人ならばかれの一挙手一投足を公開する。公人には、それくらいの枷(かせ)があってしかるべきだ。上流階級バイアスという心理学的事実がある。『社会的地位が高い』と自己規定するひとほど非道徳的である、という事実。この事実を鑑みるに、公人にはいくら枷があっても足りないと思うのだ。変化する社会に法律は対処できていない。民主主義のために、公的なことがらはどこまでも透明にしなければならない」(長野県・20代 男女どちらでもない・決めたくない)
■読者の投稿への指摘について
23日の朝日新聞フォーラム面「忖度って?」で、ドイツの社会学者マックス・ウェーバーを引いて「相手の立場に身を置いて、考えたり、理解することを示すコンセプトを英語では、Emphatic Understandingと言います(抜粋)」とする読者の投稿を紹介しました。
これについて、「Emphatic(強調された)」とあるのは「Empathic(共感的な)」または同じ意味の「Empathetic」ではないかと、複数の読者から指摘を受けました。
ウェーバーを研究する成蹊大学の野口雅弘教授(政治思想史)に、この件について尋ねました。野口さんはまず、「Empathic Understanding(共感的な理解)」の方が適切な表現だと指摘します。ウェーバーの理解社会学の方法は、人の行為をその動機から、感情移入して理解しようとするものだからです。
一方、野口さんは、たとえ「Empathic Understanding」だったとしても、感情移入による「理解」と「忖度」は、同列に考えられないのではないかとも指摘しています。「例えばトランプ大統領のある行為を『理解』することは、それを『是認』することとは違いますし、ましてやその意をくんで『手助け』することではありません」
こうした「理解」と「是認」と「手助け」がないまぜになっているのが「忖度」ではないか。そして、その「忖度」の世界に欠けているのは、例えば、先のトランプ大統領の例で言えば、その行為に「反対」しつつも「理解」はする、あるいは「理解」はするが「批判」するという思考だ、というのが野口さんの分析です。
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当初のアンケート回答について、不十分なチェック、検討のまま掲載したことを、おわびします。(フォーラム編集長・江木慎吾)
■言葉が歩んできた道のり尊重しなければ
劇的に広まることが、その言葉にとって幸福とは限らない。忖度にとっては、権力を語る場で今回のように注目されたのは不幸なことだったのではないか。神永さんの話を聞きながら、一気に表舞台に引き上げられた言葉の命運を思いました。
アンケートには「メディアが忖度の意味をゆがめている」という批判もありました。言葉は時代とともに変わると言うものの、その歩んできた道のりも尊重しなければなりません。なぜその言葉が必要とされるのか。背景に注意深くありたいと思います。(村上研志)
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