水俣病犠牲者慰霊式で献花し手を合わせる胎児性患者ら=1日午後1時54分、熊本県水俣市、福岡亜純撮影
水俣病の公式確認から61年を迎えた1日、熊本県水俣市で、患者・被害者団体などでつくる実行委員会と市が主催する水俣病犠牲者慰霊式が営まれた。参列者は「悲惨な公害を二度と繰り返さない」と誓った。
慰霊式には患者や遺族、原因企業チッソの森田美智男社長、山本公一環境相、蒲島郁夫知事ら約700人が参列。母胎内で水銀にさらされた胎児性患者、滝下昌文さん(60)は「生まれた時から水俣病の患者。健康な自分を知りません」「これからの生活に大きな不安を抱えています」と述べた。
水俣病は被害が広がった時期や範囲が今も確定しておらず、複数の患者・被害者団体は昨年10月の慰霊式後、不知火(しらぬい)海沿岸住民の健康調査を山本環境相に求めた。だが、山本氏はこの日、式典後の団体側との懇談でこの件について発言しなかった。その後の記者会見でも「(調査研究の)手法の開発を加速化したい」と昨秋の慰霊式の際と同じ趣旨の発言を繰り返すにとどまった。
環境省は、水俣病の「最終解決」を目的とする水俣病被害者救済法に基づき、メチル水銀が人の健康に与える影響を調査研究する「手法の開発」を図るとしている。この日の会見で、水銀影響調査が潜在被害の把握(掘り起こし)を目的とするのかという質問に、環境省の梅田珠実環境保健部長は「掘り起こしのためというふうには承知していない」と答えた。
水俣病はチッソ水俣工場が不知火海に流した廃水に含まれたメチル水銀が原因で起きた公害病。1956年5月1日、保健所に患者の多発が届けられ、公式確認された。認定患者2282人のうち1909人(4月27日現在)が亡くなり、高齢化も進む。患者認定を求める人は3月末現在、熊本、鹿児島両県で2104人。2012年に申請が締め切られた国の被害者救済策の対象から漏れるなどした約1500人が、国などに損害賠償を求める訴訟を起こしている。(奥正光、奥村智司)