1月のW杯シュラートミング大会で7位に入った湯浅直樹=ロイター
治る、治らない、治る確率は半々――。3人の医師の意見は割れた。アルペンスキーの日本男子のエース、湯浅直樹(34)=スポーツアルペンク=はこのオフ、途方に暮れた。痛めたひざを手術するかどうか。そのとき、思い出したのは3年前の大舞台だった。
2014年ソチ五輪。2大会ぶりの五輪だった。大会直前に右足首を骨折しながら回転に出場し、2回目で途中棄権した。しかし、すでに4年後を見据えていた。「(結果に)手応えはなくても、無理して出れば平昌(ピョンチャン)につながる思いがあった」。その平昌五輪が来年2月に迫る。「大事な1年。体にメスを入れたくない」。手術回避を決めた。
左ひざは軟骨が欠けてから10年以上たつ。酷使したつけで、年明けから悪化した。競技の本場オーストリアでも、医師の判断は分かれた。だから自分の思いを優先し、陸上トレーニングを再開した。ひざ周りを重点的に鍛える。そして例年同様、8月に雪上練習を始めることをめざす。
復活への手応えが、今の湯浅を支える。昨季のワールドカップ(W杯)回転では自身最多の7試合で30位以内に入った。それまで2季にわたってひざや腰の痛みに苦しみ、上位30人の2回目に進めれば良い方だった。「復活すると宣言してシーズンに入り、最低限の仕事はできた」。昨年12月のW杯では3季ぶりの1桁順位となる8位に入り、今年1月には7位となった。
なぜ、復活できたのか。マルセル・ヒルシャー(オーストリア)ら速く滑る選手にあって自分にないものを映像分析して探した。着目したのは滑るときのスタンスだった。「スキー板1本と半分ほど、20センチくらいスタンスを広げることで安定して滑れる」。開幕戦後に3週間かけて新たな滑りを身につけた。
06年トリノ五輪で7位に入り、11年世界選手権では6位。五輪と世界選手権でともに入賞した日本選手は湯浅と、1956年コルティナダンペッツォ五輪男子回転で銀メダルの猪谷千春さん(86)だけだ。
湯浅は言う。「日本では五輪で活躍すればアルペン競技を知ってもらえる。恩返しをしたい」(笠井正基)