伊勢湾台風の被災児童と話す皇太子明仁さま。左は説明役の松野幸泰・岐阜県知事=1959年10月4日、岐阜県鵜沼町(現各務原市)、朝日新聞社撮影
■てんでんこ 皇室と震災・第2部2
1959年10月4日。当時の皇太子明仁さまは、東海地方に猛威をふるった伊勢湾台風の被災地視察のため、名古屋市を訪れた。復旧作業で忙しい地元に迷惑をかけないように、随員は皇太子家を支える東宮大夫のほか侍従、侍医、事務官、護衛が1人ずつ。ふだんの地方訪問の半分以下の人数だった。
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皇太子さまは愛知県庁貴賓室に入り、「このたびの台風により非常に大きな被害をこうむり、とくにおびただしい犠牲者を出したことはまことに同情にたえない」とする天皇陛下からのお見舞いの言葉を桑原幹根(くわはらみきね)知事に伝えた。そして自身の見舞金を渡した。
当時中部日本新聞(のちの中日新聞)社会部長だった宮岸栄次(みやぎしえいじ)氏のルポや新聞記事などによると、皇太子さまはこのとき「まだ消息のわかっていない(人がいる)ところはありますか」「干拓地が使えるまでにはずいぶんかかりますか」などと尋ねたが、侍従が質問を途中で止めたという。
この後は自衛隊ヘリで上空から…
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