Nao☆さん
あこがれの甲子園をめざす夏がやってきた。一投一打に全力を傾ける青春は、芸能界を突き進んできた自分の歩みにも重なる。新潟を拠点に活動するアイドルグループ「Negicco(ねぎっこ)」のリーダー、Nao☆さん(29)が、高校球児たちにメッセージを贈る。
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小学生のころは、男の子たちとよく一緒にかけ回っていて、キャッチボールやソフトボールを一緒にやって楽しかった思い出があります。中学生では、陸上部で短距離をやっていました。野球部とグラウンドを一緒に使っていたので、よくボールが転がってきました。ボールを野球部の人に投げ返すと、帽子をとってお礼をしてくれたのが印象的でした。
2015年5月、ハードオフ・エコスタジアム新潟であったプロ野球の試合(横浜DeNAベイスターズ―巨人戦)で、あこがれの始球式をすることができました。事前に練習をした時はうまく投げられたのですが、本番ではマウンドの高さや緊張のせいで、ボールが変なところに飛んでいってしまいました。「こんな場所で戦っている野球選手ってすごいなあ」と感じたのを覚えています。
高校野球は、音楽も好きなんです。(テレビ番組の)「熱闘甲子園」の06年のテーマ曲だったZONEの「BEGIN」のCDを買いました。
自分と同じ88年生まれで、「ハンカチ王子」の斎藤佑樹君(早稲田実)や田中将大君(駒大苫小牧)の甲子園での投げ合いも注目して見ていました。プロ野球からすごく注目されていたのに、ハンカチ王子が大学に進学したのには驚きました。私だったらすぐにプロになるのになあ、なんて考えていました。
アイドル活動では、つらい時期もありました。駆け出しのころに、自分たちが所属していたアイドルスクールが廃校になり、ゼロからのスタートになってしまいました。練習する場所がなくて、自分たちで部屋を借りました。でも大きな鏡がなくて……。鏡を部屋に持ち運んで、練習が終わったら持って帰る、なんてことを繰り返していました。
Negiccoの踊りの振り付けも私がDVDを見て勉強して、それからみんなで練習していました。そんな時期が7年ぐらい続きました。
進路に不安を抱くメンバーもいました。私は芸能界で生きていきたいと思っていましたが、アイドル活動に専念することに迷いがあったのだと思います。実際、Mikuちゃんという一番歌のうまい子は別の夢を見つけて、06年にNegiccoから卒業しました。自分はこれからどうすればいいのだろう、と思ったこともありました。
それでも、「夢をかなえた人は夢をあきらめなかった人」と思って、私は頑張ってきました。
いつまでアイドルを続けるんだ、って結構言われましたけど、そこであきらめなかったから今があるんだと思います。私にとって、Negiccoは青春の全てです。そこで頑張ってきたことは何一つ無駄にはなってはいません。自分の人生の中で輝いていた時期があるということは、その人の背中を押す原動力になると思います。
新潟の高校球児の皆さんも、大事な一日一日を一生懸命過ごしてほしいと思います。その頑張りを見た人が「僕もああなりたい」「かっこいい」と思えるように。地元新潟で生活するアイドルなので、新潟県民としても応援します。もちろん、15周年を迎えるNegiccoも頑張ります!(構成・川島大樹)
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〈なお〉 1988年生まれ、新潟県出身。中学3年時の2003年、JA全農にいがたによる新潟の名産「やわ肌ネギ」のPRキャンペーンのために結成された1カ月限定のアイドルグループ「Negicco」としてデビュー。Negiccoは10年にローカルアイドルのナンバー1を決める「U.M.U AWARD」で優勝し、全国的に知名度が高まった。14年にリリースした17番目のシングル「光のシュプール」はオリコンチャート5位。作詞経験もある。