初戦に勝ち、笑顔でスタンドにあいさつに向かう青森山田の選手たち=14日、阪神甲子園球場、加藤諒撮影
(14日、高校野球 青森山田6―2彦根東)
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青森山田はかつて、県外の選手が中心のチームだった。青森大会で6年連続優勝するなど県内で圧倒的な強さを誇ったが、「グラウンドは関西弁」とも言われた。しかし、不祥事をきっかけに方針を変え、今年のチームは先発メンバーが全員、青森出身。8年ぶりに夏の甲子園に出場し、14日に1勝を挙げた。
「いぢぃ、にぃ、さん、すぃ、ごぉ……」
今年のチームは練習前にいつも、津軽弁で数えながらストレッチをする。14日の試合前も、阪神甲子園球場の室内練習場で和田武優君(3年)がこうして発声したという。チーム内から笑いが出ることもあるが、斉藤孔明君(同)は「リラックスできる」と明かす。
捕手の福原朱理君(3年)が試合中、マウンドでエースの三上世視滝(せしる)君(同)に駆け寄る時は必ず「世視滝、きもづだ。きもづだはんで(気持ちだからな)」と言葉をかける。「お互い、津軽地方出身なので方言が自然と出ちゃいます」と笑う。
94人の部員のうち、約3分の2が青森出身。同校OBの三浦知克部長(45)、兜森崇朗(かぶともりたかあき)監督(38)も同じで、グラウンドでも津軽弁が多い。三浦部長が「昔は関西出身者が多く、『大阪山田』とも呼ばれた」と語るように、以前のチームとは雰囲気が大きく異なる。
転機となったのは2011年、1年生の部員が寮内で上級生から暴行を受けた後に死亡したこと。県外から来ていた指導者が去り、入部希望者も激減。新たに就任した三浦部長が県内の中学を回りながら、再建を始めた。
三浦部長は「県外でも地元でも、親元を離れて寮に入り、自分を飛躍させたい思いは同じ」と話す。だが、4年前に小4だった次男が「青森山田中学の子は、青森山田高校のグラウンドを使うこともあるんだって。すごいな」と話したことも忘れられない。「地元の子が、普通にグラウンドを使える環境を作ろうと思った」と振り返る。
捕手の福原朱理君(3年)は青森県田舎館村出身。「青森山田は県外出身者が多い」と、別の学校に行くつもりだった。しかし、方針の変更を知り、「地元代表として甲子園に出たい」と考えを変えた。念願の甲子園出場を果たし、今では「活躍して青森の野球のレベルを上げたい」と語る。
チームも甲子園の初戦は彦根東(滋賀)に6―2と快勝。兜森監督は「私を含めて田舎者ばっかり。この大観衆の中で、たくましく堂々とやってくれた」と笑顔だった。(板倉大地、神野勇人)