ICANのノーベル平和賞受賞を記念したトーチライト・パレードに参加した斎藤政一さん(前列左から2人目)=11日午前2時40分(日本時間)、オスロ、松崎敏朗撮影
広島で被爆した岩手県花巻市の斎藤政一(まさかず)さん(93)は、オスロ市中心部の会場でノーベル平和賞を受賞した国際NGO「核兵器廃絶国際キャンペーン」(ICAN)の関係者や日本から一緒に訪れた被爆者たちとともに、大型画面に映し出される式典の様子を見守った。斎藤さんは、NGO「ピースボート」が主催した被爆者ツアーの参加者では最高齢だ。
特集:ノーベル平和賞にICAN
「核兵器と人類は共存できない」
受賞者を代表して登壇した被爆者のサーロー節子さん(85)=カナダ在住=が講演で訴えると、斎藤さんは目を閉じたまま「うん、うん」と何度もうなずき、目頭を押さえた。
広島の爆心地から1・8キロにある陸軍の兵舎で被爆。閃光(せんこう)を見たことは覚えている。気がつけば、崩れた建物の下敷きになり、はい出すと全身はやけどして血まみれになっていた。多くの仲間が亡くなった。
1カ月間の治療を受け、故郷の岩手に帰った。しかし、やけどの後遺症は残った。「原爆はうつるから、その人と話しちゃいかん」と差別も受けた。
核廃絶運動に長年携わり、現在は、岩手県原爆被害者団体協議会で名誉会長を務める。結成してわずか10年の若い団体であるICANのノーベル平和賞受賞は「正直、悔しかった」。
ただこの日、考えは変わった。「『核兵器廃絶』という、揺るがない信念が世界に強く発信されるのを見て、自分たちがやってきたことも認められた気がした。今日のことを多くの人に伝えたい。孫たちに同じ体験はさせたくないから」
授賞式後に催されたトーチライト・パレードで、数百人の参加者とともに声を張り上げた。「Yes! I can!」
被爆者ら現地でパレード
国際NGO「核兵器廃絶国際キャンペーン」(ICAN〈アイキャン〉)へのノーベル平和賞授賞式の後、オスロ市内では10日、現地の平和団体主催の記念のトーチライト・パレードがあった。日本からツアーで訪れた被爆者20人も参加した。
火をともしたトーチ(たいまつ)を手にした数百人の参加者が、市中心部のオスロ・セントラル駅を出発。目抜き通りを約1キロ進み、授賞式で講演をしたICANのベアトリス・フィン事務局長と広島で被爆したサーロー節子さん=カナダ在住=が待つホテルまで歩いた。2人がバルコニーから姿を見せると歓声が湧いた。
オーストラリアで核兵器の廃絶に取り組むジェニー・モーズリーさん(66)は「広島と長崎には行ったことはないが、恐ろしいことが起きたことは知っている。太平洋でも実験があり、環境にもダメージを残している」と話し、今後、さらに核兵器廃絶運動を進めていくことを誓った。広島市から参加した被爆者の植木研介さん(73)は「若い人もパレードに加わっていたのが印象的だった。国を越えて、活動が受け継がれていくことを確信できた」と話していた。(オスロ=松崎敏朗)