手話漫才「ぷ~&み~」。ぷ~(右)は聞こえる人、み~は聞こえない人=岡山県矢掛町矢掛 聞こえるぷ~(50)と、生まれつき聞こえないみ~(49)。日本語と手話を同時に使って爆笑を繰り広げる、他に例がないという漫才コンビだ。 監督は全盲者、SF映画どうやって制作?人気声優ら協力 見えなくても「観戦」したい 広島カープも支援の手 み~が手話と身ぶりで繰り出すボケに、ぷ~が巧みに説明を交えながらつっこむ。4月中旬、総社市のカフェ「なごみ庵(あん)」での公演に集まった観客は、手話が分かる人もそうでない人もギャグの連打に大笑いした。 2人が知り合ったのは20年近く前のこと。NHKの番組で手話に興味を持ったぷ~は、地元・矢掛のろう者に手話を習いに通っていた。そこにみ~が遊びに来た。第一印象は、互いに「ヘンなやつ」。でも、2人ともチャプリンの映画やお笑いが好きだと分かり、意気投合した。 馬の耳に念仏。ウソも方便。知らぬが仏。忖度(そんたく)……。ことわざや慣用句を、互いの言語でどう表現するのか。手話と日本語を教えあった。「へぇーっと思うことばかりでした」 「動画をネットで紹介したら? 絶対面白いよ」。み~の妻の強い勧めで、2010年に2人はブログを始めた。 タイトルは「かゆいところに手が届いたら…」。聞こえる人と聞こえない人が「かゆいところに手が届く」関係になれるといいなという願いを込めた。 1周年記念に動画をまとめたDVDを作った。12年秋、京都の手話まつりで販売しようと要項を見ると、舞台発表も募集していた。 「漫才、やろうか」。ぷ~がネタをつくり1週間練習して本番に挑んだら、大受けした。すると大阪の手話アーティストがやってきて「京都で笑わせたって、なんぼのもんや。大阪で受けな意味ないわ」。挑発的なお誘いに「なら、大阪でやろう」。その年、ろう者のクリスマス会で披露し、大いに受けた。 現在、公演は29都道府県に及び、昨秋には岡山市で100回記念公演を開いた。 ろう者の老人施設での公演で、みな笑う中、こめかみをぴくぴくさせながらじっとにらんでいる男性がいた。「なぜ怒っているんだろう?」。終演後、施設の人が駆け寄りこう言った。「あの人が、笑っていました!」。聞くと、男性はパーキンソン病で顔が動かない。こめかみのぴくぴくは、病気で表情を失った人の精いっぱいの爆笑だった。 鳥取県倉吉市では、公演後、聞こえる母と聞こえない娘が来て「一緒に笑えてうれしかった。ありがとう」。 ぷ~は言う。「ろう者と聴者が同時に笑う。簡単なようで、めったにない。僕らの漫才は笑いを共有でき、感動につながるのだと感じます」 聞こえる人と聞こえない人の漫才コンビが増え、その舞台を客席で見て笑いたい。2人の夢だ。(中村通子) ◇ 〈ぷ~本名三宅寿(みやけ・ひさし)〉 1967年矢掛町生まれ。小さな頃からダジャレが好き。本業は、矢掛町の観光拠点施設「あかつきの蔵」の営業職。 〈み~本名佐藤正士(さとう・まさし)〉 69年倉敷市玉島生まれ。幼い頃は伝説的お笑い番組「8時だヨ! 全員集合」を欠かさず見ていた。玉島で理容店を営む。 |
手と声重ね「かゆいところに手が届く」 手話漫才が人気
新闻录入:贯通日本语 责任编辑:贯通日本语
相关文章
スターバックス、上海初の「手話店舗」の営業スタート
聴覚障害者に朗報!上海ディズニーランドがパレードの手話通訳スタート
深夜10時、PCR検査スタッフに少女が手話でメッセージ
成都金沙遺址博物館で聴覚障害の青年が古蜀文明を手話で解説 四川省
成都金沙遺址博物館で聴覚障害の青年が古蜀文明を手話で解説 四川省
手話通訳の依頼、大阪府が断る「筆談で」 職員ら処分
「助詞がおかしい」ろう者の娘、母の焦り 母語は手話
创建“日本德云社”,只因丈夫不务正业
目が見えず、耳が聞こえない…手話の手に触れ会話の日常
戦争に揺れた「上方漫才の父」 没後40年、長女が評伝
眞子さまが手話であいさつ 高校生のコンテストに出席
福士蒼汰「心も大阪人に」 監督が勧めた名コンビの漫才
海原やすよともこ、2度目の大賞 上方漫才大賞
聴覚障害の男性が裁判員務める 東京地裁、初の手話通訳
「上方漫才の父」が見た旧満州 秋田実氏の遺稿見つかる
厚み増す漫才「いつかは全国区に」M-1王者の銀シャリ
手話演劇、身体でつむぐ言葉 奈良県立ろう学校演劇部
無謀?でも進路は「お笑い」 高校生芸人りるさ
佳子さまが手話を披露 鳥取で手話甲子園開会式に出席
オール阪神・巨人が上方漫才大賞受賞 史上最多の4度目
(皇族方の素顔)両陛下と黒柳徹子さん、手話普及の秘話
海原小浜さんが死去 元漫才師
カード大手2社、手話・筆談で問い合わせ 聴覚障害者向け