久賀が甲子園に出場したときのアルプススタンドの写真を見ながら当時を振り返る熊毛南の大浪定之監督=2018年6月7日、山口県平生町
島が動いている……。
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99年夏の甲子園。久賀(山口)を監督として率いた大浪定之さん(58)は、そう錯覚した。
初戦で旭川実(北北海道)に1―5で敗れ、三塁側アルプスに駆け寄ったときのこと。詰めかけた島民たちが次々と立ち上がるのを見て、鳥肌が立った。
瀬戸内海に浮かぶ山口県東部の周防大島。当時の人口は2万4千人ほど。4割が高齢者で「大往生の島」と呼ばれた。久賀はここにあった過疎校だ。
大浪監督は同校OB。赴任後約10年かけて強豪校に育て上げ、この年、山口大会を制する。球児らを乗せたバスは、学校の敷地内へ入れなかった。校門前は、待ち受けた大勢の島民たちがごった返していた。そんな風景を当時の選手の新山晴久さん(37)は今も鮮明に覚えている。
「『応援に行かれますか』が、あいさつがわりです。これほど活気づき、町全体が心を一つにしたことがあったでしょうか」
朝日新聞の当時の「声」欄には、島民の喜ぶ様子が読者から寄せられた。
島民たちはバス50台で甲子園へ向かった。アルプス席には6千人が集結。入れなかった人たちは外野席にも流れた。大舞台でも堂々と戦った選手たちに惜しみない拍手が送られた。
前年の甲子園では、横浜の松坂大輔投手が活躍。久賀のプレーに高校野球の原点を見た作詞家の阿久悠さん(故人)は「怪物のいない夏は」という詩を寄せた。
「怪物のいない夏は/少年を見よう/怪物に驚嘆することもいいが/少年の顔と姿に出会うことも/なかなか捨て難い」
大浪監督は、その後も山口県内の公立の過疎校を渡り歩く。華陵を初の甲子園へ導き、現在、監督を務める熊毛南も甲子園を狙える実力を蓄えつつある。
めざすのは「愛される野球部」だ。選手たちは近所の人が通りかかれば、練習をやめてあいさつする。過疎の街で部員が少なくても、あのとき、島が動いたように、まわりの応援がチームの力になるからだ。
「地域も学校も、人々も一つにしてくれるのが、高校野球だと思うんです」(角詠之)