約4千人が死亡したとされる第1次大阪大空襲から13日で74年になる。被害者の高齢化が進むなか、悲惨な体験を語り継いだり、補償を求めたりした活動の記録を未来に残していく取り組みが進んでいる。
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空襲犠牲者の氏名、性別、年齢、住所が手書きで記されたノートが、大阪市中央区の大阪産業労働資料館(エル・ライブラリー)にある。「大阪戦災傷害者・遺族の会」(伊賀孝子代表)が作った。大阪では1945年8月までに空襲で約1万5千人が犠牲になったとされる。国による調査がないなか、「犠牲になった一人ひとりの名前を残したい」と寺や慰霊碑、役所などを訪ね歩き、遺族から話を聞いた。1983年ごろから約15年かけて6千人分を集めた。
こうした資料の整理に、歴史研究者や市民が参加する「大阪空襲被災者運動資料研究会」が取り組んでいる。昨夏には空襲の体験手記などの索引・リストを完成させた。「空襲体験そのものの継承も大事だが、それに携わった人々の思いや活動の記録も残していくべきだ」と代表の横山篤夫さん(77)は語る。
伊賀さんや「大阪大空襲の体験を語る会」の久保三也子代表(89)から資料を寄託され、エル・ライブラリーで保管。会報のほか、空襲体験を証言した際の資料、証言を聞いた小学生の感想文、援護を求めた署名活動を伝える新聞記事や映像資料などで、リスト化して公開し、研究者らが閲覧できるようにしたいという。「語る会」の分については、今夏の公開をめざしている。(大隈崇)
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