昨年1月に新庁舎に移転した長崎県庁の跡地をめぐり、「ここは日本と世界が交わる場所だった」として、史跡としての価値を再評価する動きが活発になっている。出島を見下ろす台地上にある跡地には、日本にキリスト教をもたらしたイエズス会の「岬の教会」があり、その後は江戸幕府の長崎奉行所や海軍伝習所もあった。歴史研究者らは「跡地の活用計画を決める前に、歴史的な重要性を再検証すべきだ」と訴えている。
6月、県内外の歴史研究者らでつくる「長崎県庁跡地遺構を考える会」が開いたシンポジウム「長崎の岬 日本と世界はここで交わった」には、約350人が集まった。長崎大学の木村直樹教授(近世史)は「県庁跡地は、16世紀から現代まで450年間、都市長崎の中心であり続けてきた。外交や海外の学問の窓口となり、日本の近代化にも大きく貢献した」と強調。会の共同代表に名前を連ねた国立歴史民俗博物館(千葉県佐倉市)の久留島浩館長も「活用を議論する前に、まず徹底した発掘調査と研究が必要だ」と訴えた。
日本に初めてキリスト教を伝え…