大正から昭和の半ばにかけて、全国を巡ってショーを届けた「旅する少女歌劇団」があった。政財界とつながる興行師が手掛けた大がかりな巡業だったという。歴史の波に消えかかっていたその足跡をたどる学者がいる。
ニッショー(日少)と呼ばれていた「日本少女歌劇座」を研究するのは、鵜飼正樹・京都文教大教授(大衆文化論)。大衆演劇や大道芸についての著書や論文があり、学生時代、1年間旅回りの一座に加わって、舞台に立ったこともある。
20年ほど前に古本市で日少の絵はがきを見つけたのがきっかけで資料を集め始めた。この数年、一座が本拠を置いた宮崎市に通い、高齢の元劇団員や関係者に聞き取りを続け、これまでの研究成果を紹介する資料展を3月に同市で開いた。
展示の一つに示したのが、日少が1928(昭和3)年に巡業した134カ所の公演地と月日を書き込んだ日本地図。東京、大阪などの都市部は素通りし、鉄道網に沿ってほぼ休みなく地方を回った。年初の九州公演から北へ、7~8月は北海道、東北で過ごすなど、寒暖を考慮した渡り鳥のような移動の仕方で、毎年おおよそ同様のコースだったという。
10~20代の女性座員に、楽…