ラグビーでナショナルチーム同士の戦いに出場した数を示す「キャップ」は98。日本代表歴代1位の「レジェンド」は、ラグビーのエリートコースからはほど遠い道を歩んできた。大野均、41歳。かつての師の言葉を胸に、不惑を超えてなお、現役で体を張り続ける。
高校球児からラグビーへ
中学、高校は野球に打ち込んだ。地元の福島県郡山市にある日本大学工学部に進んでも続けようと思っていた。ところが、190センチを超す体格を見込まれて「屈強な先輩に両脇から両肩をがっしりつかまれ」、連れて行かれた先はラグビー部だった。
部員は15人そろうかそろわないかで、3年時に東北学生リーグの2部に落ちた。家庭教師や居酒屋でアルバイトもする、普通の学生だった。郡山市の企業から内定をもらい、公務員試験の勉強も始めていた。
国体に向けた福島選抜に入ったことで、運命が変わる。一緒にプレーした選手の大学時代の同級生に、当時、東芝府中のコーチだった薫田(くんだ)真広(52)がいた。「面白い選手がいる」と聞いて興味を持った薫田に東芝府中の練習へ誘われ、採用が決まった。1998年まで日本選手権で3連覇した名門。「通用する自信はなく、5年も続けられればと思っていた。(当時の)東日本社会人リーグの、福島で開かれる試合のリザーブに入っていればいいくらいに考えていた」
入部直後、トレーナーに「骨格…