PL学園をスタンドから応援する人たち=15日午後3時16分、大阪府東大阪市、伊藤進之介撮影
(15日、大阪大会 PL学園6―7東大阪大柏原)
動画もニュースも「バーチャル高校野球」
PL学園主将「伝統が終わり、責任感じる」最後の夏敗退
大阪府東大阪市の花園球場には2800人が訪れた。通路が立ち見客であふれ、外野の芝生も開放。球場のフェンス外からも大勢が観戦した。プレーのたびにわき起こる声援と拍手。スタンドには黄金期を支えたOBたちの姿もあった。
1987年夏に全国制覇したときのメンバーだった元ヤクルトの宮本慎也さん(45)はバックネット裏で後輩たちのプレーを見守った。七回に逆転したときには周囲の知人らと握手して喜んだ。試合終了後、「よく頑張ってくれた。格好いいユニホームにふさわしい試合だった」と話した。
87年に立浪和義さん、片岡篤史さんらと春夏連覇を達成した元巨人投手の橋本清さん(47)もユニホームを目に焼き付けようと、グラウンドを見つめていた。「僕らのときはみんなが支えてくれた。崖っぷちでやってきたこの子たちの方が、精神的にすごい」
PL学園が初めて全国制覇を達成したのは78年の夏。逆転劇で頂点に駆け上り、「逆転のPL」と呼ばれた。当時の中心メンバーで元阪神の木戸克彦さん(55)は三塁側スタンドで観戦した。「立派な試合。甲子園に出るのと同じくらい価値があった」と後輩の姿に目を細めた。
元オリックスの大西宏明さん(36)は98年夏の甲子園で、松坂大輔投手を擁する横浜と延長17回の激戦の末に敗れたときのメンバー。「この3年生たちに何もしてやれなかったという申し訳なさがある。僕も含め代々のOBが一掃できなかった体質が休部の原因になった。今の選手の責任ではない」と話した。
この春に卒業したばかりのOBも球場を訪れた。近畿大1年の奥野泰成(たいせい)さん(19)は「取られたら取り返す、まさに伝統のPL野球。十分すぎる結果を残してくれた」とねぎらった。
◇
楽天・松井稼頭央 「監督不在などいろいろとあった中、最後まで諦めない気持ちを持って戦ってくれたことを誇りに思います。3年生は本当によく頑張ってくれたと思うし、次に向けて頑張って欲しいです」
楽天・今江敏晃 「注目され、プレッシャーのかかる中、逆転もしましたし、最後までよく頑張ってくれたと思います。選手たちには、お疲れ様と言いたいですね。今回、休部になることは、OBとしても、非常に残念、悲しいですが、もう一度PL野球部の復活を見たいですね」
楽天・平石洋介2軍監督 「休部は残念ですけど、最後まで選手たちはPL野球を貫いて全力プレーをしてくれたと思います。彼らを誇りに思います」
ロッテ・松山秀明内野守備走塁コーチ 「非常に残念。ただ、PL学園の卒業生が野球界には多く存在している。野球界を盛り上げていけるように頑張るのが我々卒業生の使命。野球界から卒業生がいなくなるまでPL学園が消えるわけではないと思っています」
ロッテ・サブロー 「甲子園の時期になると活躍を楽しみにしていたので、来年からその楽しみがなくなるのが非常に寂しい。最後のPL学園として戦った選手たちには、PL魂で上を目指して頑張ってほしい」
◇
〈PL学園硬式野球部〉 春夏37回甲子園に出場し、優勝7回、準優勝4回。通算96勝は中京大中京(愛知)、龍谷大平安(京都)に続き歴代3位。1978年夏の甲子園では、決勝の高知商戦で九回裏に逆転勝ちするなどして初優勝し、「逆転のPL」と呼ばれた。「KKコンビ」を擁した83~85年に夏2回優勝、春夏各1回準優勝。87年には春夏連覇するなど、黄金期を形成した。主なOBに桑田真澄、清原和博、立浪和義、片岡篤史、宮本慎也、松井稼頭央、福留孝介、前田健太ら。
■PL学園硬式野球部の主な歴史
1955年 学校創立
56年 硬式野球部創部
62年 春夏の甲子園初出場
78年 「逆転のPL」で夏の甲子園初優勝
81年 選抜初優勝
83年 桑田真澄、清原和博の「KKコンビ」で2回目の夏の甲子園優勝
85年 3年生となった「KKコンビ」で夏の甲子園で3度目の優勝
87年 立浪和義や片岡篤史らで春夏連覇
98年 夏の甲子園準々決勝で延長17回の激闘の末、横浜に敗れる
2001年 部内暴力で半年の対外試合禁止処分
09年 春夏の甲子園出場。これ以降、甲子園出場はない
13年 部内暴力で、当時の監督が退任。これ以降、野球経験のない監督の就任が続く
15年 新規部員の受け入れを停止
16年 夏の大阪大会初戦で敗退、休部へ