杏さん=西田裕樹撮影
――書くことが、ない。
というのも、このエッセーは仕事の話をメインに書いていたので、産後の休みを取っている今、特筆すべき事柄がないのだ。
昨年秋までは、怒濤(どとう)のウン年だった。すぐにカウント出来ないくらい、ちょっとの年数、自分なりに忙しく過ごしたような気がする。
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2015年の秋以降はいったん緩やかな生活にしよう、とあらかじめ予定を組んでいたところに子供を授かったので、はからずもそのまま産休に入るような形になった。
「これではじめて、ゆっくりとした自分の時間が過ごせる!」と思った。実際そうだった。自宅で過ごす時間が増え、それなりに眠ったり休んだりする時間も増えたが、なんだかんだで毎日やることがあって「何もすることが無いなぁ」とは思わなかった。これは色々つめこんでしまう性格もあるのかもしれないけれど。
ちょっと時間が飛んで子供が2人、私たち夫婦の元にやってきた。はしゃぎすぎたのか、安心したからか、自宅に戻って生活が始まった次の日には40度近い知恵熱を出したりもした。今までの仕事のスタイルでは、そんな辛いしんどい状態でも、自分さえ頑張れば大抵はどうにかなっていた。しかしそことは関係なく、彼らの都合に自分を合わせていかねばならない。子供たちはかわるがわる数時間、と言わず2時間くらいで目を覚ます。おむつを替えたりお乳をあげたり。えーん、と泣けばゆらゆらと抱っこしてやる。泣くのに理由が無いときだってある。自分がただ頑張って無理するだけで解決するものでもないし、自分だって休まなければ身体が持たない。
今この瞬間をどう対応するか、の連続で、今までの仕事の現場に戻りたいなぁ……とは、この段階ではなかなか思い至らない。「産休」、と「休」の字は使いつつも、身体を休めているわけでもなく。育児も一つの大きな仕事なのだなぁと思う。家もある意味、現場最前線である。
少し面白いことがあった。過去に演じた役たちが、ひょっこりひょっこり顔を出すのだ。
毎日、ノートに自分や子供たち…