青空の下に置かれた模型。石垣を復元し、山頂の木を取り払うとこうなるという。今ある模擬天守や展望レストランも入れた=柴田さん提供
来年、織田信長入城から450年を迎える岐阜城(岐阜市)。戦後に復興された天守閣がそびえる金華山の山頂付近には、廃城前に築かれたとみられる石垣が今も残る。江戸時代中期の図面を基に石垣を復元し、本来の岐阜城の姿に近づける構想が、市民の間で出始めている。運動を盛り上げるため、復元後をイメージした模型も作られた。
信長は1567(永禄10)年に稲葉山城(岐阜城)を攻略し、安土城(滋賀県)に移る1576(天正4)年までの9年間、天下統一の拠点とした。1600(慶長5)年、関ケ原の戦いの前哨戦で岐阜城は落城。その後、廃城となり、天守は別の城に移された。今の天守は、1956年に建てられた。
山頂付近には、かつての石垣が土に埋もれたり崩れたりした状態で残されている。研究者の間では知られていたが、遊歩道から外れ、市民の目に触れる機会はあまりなかった。
「石垣整備で観光客を呼び込み、町おこしの起爆剤にしたい」
岐阜市で洋菓子店を営む柴田正義さん(44)は石垣に着目し、2014年2月に有志で研究会を結成。各地の城について学ぶ講座を毎月開き、今年1月には研究会を「岐阜城山上石垣整備推進協議会」に発展させ、代表に就いた。
石垣復元後の岐阜城は、どんな姿になるのだろうか――。具体的なイメージを示した方が賛同を得やすいと考え、模型の制作を決意。ネットで資金を集めるクラウドファンディングで50万円を募ると、10月の1カ月間で110人から80万円が集まった。
石垣の寸法や位置関係を記録した元禄年間(1688~1704年)の「稲葉城趾之図」の通りに石垣が残っている箇所があることを、実際に何度も金華山頂へ足を運んで確かめた。福岡県の城郭模型専門家に稲葉城趾之図や航空測量データを渡して制作を頼み、半畳ほどの大きさの模型が11月に完成した。