池田模範堂で43年間、開発を続けてきた小川和男・研究所長=上市町神田の同社研究所
虫刺されのかゆみ止め薬「ムヒ」が、発売から90周年を迎えた。製造元の「池田模範堂」(富山県上市町)に同社の「生き字引」を訪ね、ムヒの歩みを聞いた。かつて製造していた意外な商品とは。そして、「売れない」との社内評を覆してヒットした薬とは――。
池田模範堂の本社は、北アルプスの名峰・剱岳(2999メートル)を間近に望む郊外にある。周囲に田園が広がるのどかな場所だ。
敷地内の研究所で開発陣を率いるのは、銀髪に眼鏡、白衣姿の研究所長、小川和男さん(64)。いまは取締役で、入社以来43年、一貫して研究開発に携わってきた薬学博士だ。
「入社した頃は、キンカン(金冠堂)、ウナコーワ(興和)といったライバルに追いつき、追い越すのが目標でした」
看板商品のムヒが発売されたのは1926年。当初は缶入りのワセリン軟膏(なんこう)だった。31年、今につながる白いクリーム状のムヒを売り出すと爆発的にヒット。60年代には香港、シンガポールなどへの輸出が始まり、高度成長の波に乗ってムヒは国内外に浸透していった。
小川さんは国立富山工業高専(現・富山高専)を卒業して73年に入社。その2年前に発売された液体版ムヒがヒットし、社は成長のただ中にあった。
だが当時、社は長年の悩みを解消できずにいた。
ムヒがよく売れるのは、蚊が出る夏。工場は春先から繁忙期を迎え、夏を過ぎると閑散としてしまう時代が続いた。
やむなく、秋、冬は工場でリンゴジュースやジャムを製造していた。
「いまはなくなりましたが、工場近くに社のリンゴ園があったんですよ」
売り上げの柱になる「冬物」の商品を――。開発陣はその課題に取り組む。
試行錯誤の末、95年にようやくヒットが出た。冬場の乾燥によるかゆみを止める塗り薬「ムヒソフト」を発売。「メンソレータムAD軟膏」(ロート製薬)や「ケラチナミンコーワ」(興和)といった有力商品が先行する激戦区に打って出た。これが、冬物市場に踏み出す第一歩となった。
この流れは、ひび、あかぎれ用…