自宅で愛猫と写る優子さん(2008年夏、山口県岩国市、遺族提供)
8年前の冬、ある性同一性障害者が自ら命を絶った。名は「優子」。女性の体に男性の心を宿し、その相克にさいなまれ続けていた。母は願う。個人がそうありたいと思う性を受け入れる社会を――。
母の今の思いを、記者が聞いた。
◇
あの子が大人になってから、2人でよく釣りに出かけました。
「釣れるかねぇ」
「釣れるといいねぇ」
そう話しながら堤防から糸を投げました。また行こうねと、約束していたんですけど……。
《私は29歳になったばかりの女性です。しかし幼少の頃から女の子が好む「ままごと」や「縫いぐるみ」は嫌いで、「ミニ四駆」や「少年ジャンプ」を愛好していました。スカートは制服なので仕方なく穿(は)いていました》(優子さんの仮処分申し立ての陳述書から)
「そういうのが好きな女の子なんだな」と思い、性同一性障害とは気がつきませんでした。女の子が最高に着飾り、思い出に残る成人式。「一度は着物をきちんと着たいのではないか」。そんな親心から、「スーツで行く」と言う優子に黄色地の振り袖を用意しました。今振り返れば、かわいそうなことをしたと思います。私が喜んで支度しているのを見て、台無しにしたくないという思いで何も言わなかったんじゃないかな。写真館で撮った振り袖姿の写真は、どうしてもリビングには飾れない。
《戻っても居づらかったらその時に考えるので、自分の好きな職場に戻りたい。この先、女として生きるのも男として生きるのも、精神的にも肉体的にも生き辛(づら)いのには変わりがないので》(同)
職場のことを話すとき、「天性の仕事なんよ」と言ってとても楽しそうでした。でも同僚に性同一性障害と打ち明けると、離れていってしまった。
優子にとってはすごく生きづらかっただろうなと思います。心と一致した性で産んであげられなかったという思いもあります。
《今でも、自分は男として生きていくべきなのか迷います。女で通すと決める一方、それが卑怯(ひきょう)だという思いがあり、いつも「普通の女」「普通の男」の言動と自分との差を何となく気にしています》(同)
亡くなる数日前、「この体が嫌なんよ!」と言って胸のあたりをかきむしり、嗚咽(おえつ)をもらしていました。感情をあらわにすることはほとんどなかったのに。それほどまでに失望したんだと思います。自分の体と性を受け入れて何とか生きていこうとしたけど、周りに受け入れられなかった。
亡くなったのは自宅の和室。29歳でした。
「優ちゃん、優ちゃん」
必死に名前を呼びました。懸命に何かをこらえているような表情を見て、「苦しかったんだね」という思いがこみ上げました。
どうして死ななければいけなかったのか。優子の死を自己責任と言って終わらせないでほしい。そう思って裁判を闘ってきました。
これは優子だけの問題じゃないんです。みんな違ってみんないい。みんながそう思える社会だったら優子は受け入れられていたのかもしれない。自分の生きたい性で生きられる社会になってほしいと思います。(田中瞳子)
■解雇後に自殺、控訴
優子さん(当時29)の母親(65)=山口県岩国市=は、「性同一性障害の告白をきっかけに会社から退職強要を受けるなどしてうつ病になり、自殺した」として、国に遺族補償年金の不支給決定の取り消しを求め広島地裁に提訴した。だが地裁は先月、「自殺は業務が原因と認められない」として請求を棄却。母親は3日、控訴した。
判決などによると、優子さんは自動車販売会社の正社員になった直後の2008年11月、同僚に性同一性障害を告白。同月下旬に解雇通知を受け、地位保全を求め仮処分を申し立てたが、09年1月に自殺した。母親は11年8月、労災に基づく遺族補償年金を申請。岩国労働基準監督署は「自殺は業務上のものではない」として退けていた。