あの日、あのとき、巨大な地震と津波が襲うまで、ありふれた日常が流れていた。
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特集:3.11 震災・復興
3月10日午前6時23分。
マグニチュード6・8の地震が起き、気象庁は福島県に津波注意報を発表した。
午前7時50分。
「行くわよ」
母親(52)に声をかけられ、宮城県石巻市の三條泰寛(やすひろ)さん(17)は、おわんに残ったみそ汁を飲み干した。靴を履き、母親の軽乗用車の助手席に乗り込む。
商業高校を1日に卒業した。4月から電子部品製造会社の工場で働く。その前に運転免許を取ろうと、教習所に通っていた。
途中、泰寛さんが友人を見つけた。同じ教習所の送迎バスを待っていた。「乗っていけよ」。後部座席に招き入れた。
友人がジャンパーのフードをぬぐと金髪が現れた。
「何、その頭?」
最初は驚いた母親も「大学生になるまでには直しなさいよ」と笑い出した。「俺も染めていい?」。泰寛さんが聞くと、母親は「社会人になるまでに直せばいいわよ」と言った。泰寛さんは「やった」と言って、にやけた。
午前10時2分。
国会では、参議院予算委員会が開会した。質問に立った議員は、ニュージーランド地震で行方不明の日本人専門学校生の安否を尋ねた。
午後1時。
岩手県陸前高田市で歯科医院を開業する村上徳行(とくゆき)さん(63)は、盛岡市の写真館で家族写真を撮った。
この日は岩手医科大に通う長男(25)の卒業式。妻(60)と長女(34)、次女(30)の家族5人で、写真館に立ち寄った。
前列に徳行さんと妻が並んで座った。後列には3人の子どもたち。
「もうちょっとリラックスしてくださーい」
カメラマンが声をかける。写真が苦手な徳行さんも、うれしそうな表情で写真におさまった。
夕方のテレビのニュースは、お笑いコンビ「コント55号」の坂上二郎さんの訃報(ふほう)を伝えた。ところ狭しと動き回るコントの映像が流れる。76歳だった。
午後8時。
「いただきまーす」
岩手県陸前高田市の浅沼健(たける)さん(25)は、家族6人で掘りごたつを囲み、鶏団子がいっぱい入った鍋にはしを伸ばした。水泳コーチの仕事を終えて、帰ってきたばかり。「おいしい、おいしい」と口に運んだ。
遊びに来ていた1歳のおいが「たけちゃん、たけちゃん」と話しかけるたび、健さんは「いないいない、ばあー」と笑わせた。
食事の後、掘りごたつでうとうとしている健さんに、心配した母親(47)が「寒くないのかあ」と声をかけた。眠そうな顔で立ち上がると、「あした、早番なんだ」と言い残し、自分の部屋へ戻っていった。
日付が変わった。
11日の天気予報は、午後はところどころで雨や雪、と伝えていた。