作家の谷崎潤一郎(1886~1965)が70代につけていた日記の内容が明らかになった。いくつかの代表作を手がけ、ノーベル文学賞候補にも名前が挙がっていた頃のもので、体調不良に悩まされながらも創作に執念を燃やす様子が伝わる貴重な資料だ。8日発売の「谷崎潤一郎全集第二十六巻」(中央公論新社)に掲載される。
谷崎は戦時中の体験をもとに「疎開日記」という作品を書くなど、日記をつける習慣があったことが知られている。一方で亡くなる前年の文章に「思ふところがあつて古い日記帳を悉(ことごと)く焼き捨てゝしまつた」と記しており、日記そのものが現存することは一般には知られてこなかった。だが、1958年7月~63年2月の日記帳8冊が、谷崎の没後に遺族から中央公論社(当時)に託されていたといい、この内容が全集に初めて収録された。谷崎は和紙をとじた帳面に日記をつけていたと伝わるが、残っていた日記帳は市販のクロス装で、燃やしにくいため残された可能性もあるという。
1冊目はほぼ谷崎の自筆だが、右手にまひを患った影響で、2冊目以降は主に秘書や女中による口述筆記。2冊目の冒頭、59年2月1日の日記は「暮(くれ)から今日まで、手が痛むので、記事を一切書かずに居た」。その後は原稿の進み具合と、体調の良しあしや治療の経過などが繰り返しつづられている。
8冊の日記が書かれたのは、「…