大田昌秀さん=2013年撮影
92歳で12日に亡くなった元沖縄県知事の大田昌秀さんは、最晩年まで研究、執筆活動を続けていた。最大のテーマは、自ら体験し、県民4人に1人が亡くなったとされる沖縄戦だ。入退院を繰り返すなかで完成させた遺作が、23日の沖縄慰霊の日を前に出版された。
米軍基地問題訴え続けた大田昌秀さん死去 元沖縄県知事
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大田さんが理事長を務めた沖縄国際平和研究所に、版元の高文研からできあがった本が郵送されたのは5月31日。受け取った研究所の桑高英彦さん(73)はすぐに県内の病院に持って行った。
大田さんは、がんなどで全身の激しい痛みと闘っていた。痛み止めの薬で意識がもうろうとする時間もあった。それでもベッドに寝たまま本を手にし、「うん、うん」と何度もうなずいた。「笑みを浮かべたように見えた」と桑高さんは言う。
遺作となったのは「沖縄 鉄血勤皇隊~人生の蕾(つぼみ)のまま戦場に散った学徒兵」。沖縄戦にかり出された14歳から19歳を中心とする男子学徒隊、全12校の記録だ。1400人余りが動員され、約800人が亡くなったとみられているが詳しい数字はわからない。
19歳だった大田さんは沖縄師範学校男子部で、師範鉄血勤皇隊として動員された。弾薬運びや情報伝達、爆弾を抱えての体当たり攻撃などを担わされた師範鉄血勤皇隊は386人中226人が死亡。大田さんは多くの死を目の当たりにした。
その体験から戦後は、沖縄戦と…