女子学徒隊の経験者らから体験談を聴く三重県御浜町立阿田和中学校の生徒たち(4月、沖縄県糸満市、同校提供)
三重県御浜町の町立阿田和(あたわ)中学校が、2013年から修学旅行で沖縄県にある女子学徒隊の慰霊塔「梯梧之(でいごの)塔」を訪れている。塔は三重県出身の旧陸軍兵士の看護を担った高等女学校生を追悼するものだ。訪問で関係者との交流が生まれ、学校で沖縄戦の劇に取り組むようにもなった。
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沖縄県糸満市の「ひめゆりの塔」から東へ約100メートル。沖縄戦で亡くなった私立昭和高等女学校の生徒らの慰霊塔「梯梧之塔」が立つ。
沖縄戦に動員された女子学徒らの調査を進めてきた「ひめゆり平和祈念資料館」(糸満市)によると、「梯梧学徒隊」と呼ばれている生徒たちは沖縄戦の直前に、三重県出身者も含む陸軍第62師団の野戦病院に配属。17人が動員され、9人が戦死した。昭和高女では学徒隊以外の生徒も49人亡くなったという。
阿田和中は東日本大震災を機に、11年から修学旅行先を東京から沖縄に変更。担任の勧めで、13年から梯梧之塔に立ち寄るようになった。地元に関わる戦争を知ってほしかったからだという。14年には塔に感想文を置き、そのことを知った昭和高女の同窓会「梯梧同窓会」との交流も始まった。
阿田和中では修学旅行前に沖縄戦や梯梧之塔について学ぶ。旅行中も初めに沖縄の歴史を学ぶ日程を組んだ上で、観光も楽しむ。今年も4月末の旅行初日に3年生26人が塔を訪れ、1人ずつ塔の前で手を合わせた。山田錦太朗君(14)は「三重の人との関わりを知り、戦争を身近に感じた」と振り返る。3年生はその後、昨年に続き、梯梧同窓会の上原はつ子さん(88)らから当時の話を聴いた。
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