リフティングを披露する高木美帆=2010年
スピードスケート女子1500メートルの高木美帆(23)は2010年、中学3年生でバンクーバー五輪に出場した。学校ではサッカー部に所属し、男子とボールを追った。同級生や恩師らがかつての姿と重ねながら、8年ぶりの大舞台にエールを送った。
「バンクーバーの時、『金メダルをとったら触らせてくれ』と伝えた。その夢をかなえてほしい」。北海道幕別町の中学校教員、蓮見健斗さん(23)はそう話す。
小中と高木と同じサッカーチームに所属。札内中3年の時、サッカー部は道大会に出場した。高木はスケートの海外合宿と重なり、出られずに悔しがった。それでも、同級生にユニホームの色に合わせたミサンガを手作りしてくれた。大会直前は国際電話でメンバー一人ひとりと話し「頑張ってね」と激励してくれたという。
ダイビングヘッドをして眉毛のあたりから血を流したこともあった。技術も高く、男子にも当たり負けしない。中2のころは有望選手が集まる合宿にも参加した。サッカー部顧問だった森英樹さん(50)は、五輪の代表候補になってもサッカーに手を抜かない姿勢が印象に残っている。スケートが中心の冬場も体育館での練習に顔を出し、「休むのも仕事」と言ったが「やりたい」ときかなかった。五輪出場が現実味を帯びても、高校ではサッカー部に入りたいという思いも聞いた。
森さんは「いつも通りの滑りをしてもらえれば結果はついてくる。もしメダルを下げて帰って来てくれれば、一度見てみたい」と話す。
「当時からすごすぎて同じ星の人とは思えなかった」という蓮見さんは昨夏、友人の家で高木とバーベキューをした。リラックスした様子で、笑みを絶やさなかった高木。平昌五輪について、こう語っていたという。「調子はいいよ。たぶんいけると思う」(高浜行人)