岸壁に乗り上げる船=1960年5月
東日本大震災の約50年前、1960年に東北沿岸をチリ地震津波が襲った。当時の白黒写真を人工知能(AI)でカラー化し証言をたどると、東日本大震災と似た光景が浮かび上がった。津波から逃れるため、船をよじ登り、市場の屋根をつたって逃げた宮城県塩釜市の男性は「海には決して近づかない」と話す。現代に「解凍」された記憶の意味を探った。
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KHB東日本放送、朝日新聞、首都大学東京の渡邉英徳研究室では、チリ地震津波(1960年)の写真カラー化プロジェクトを進めてきた。早稲田大の石川博教授らの研究グループが開発した技術を利用して、カラー化をした。
1960年5月。岸壁に打ち上げられ、横たわる大きな船。KHBがツイッターでこの写真をカラー化したものを紹介したところ、船の煙突部分に塩釜市の市章が描かれているとの指摘を受けた。後ろに写るのは、「松島湾汽船」と書かれた建物。
一方、朝日新聞の宮城版に掲載された特集を見たという大岸泰さん=仙台市=から、別の写真も寄せられた。この船を正面から撮影したもの。「塩釜市営観光船すわん丸」という字がくっきりと見える。後ろにはやはり「松島湾汽船」という建物。船のアンテナの形も同じで、「中華料理 ホルモン料理」と書かれた料理店があることも一緒。どうやら同一の場所で撮影したものと見て間違いなさそうだ。
当時を知る人に話を聞くことが出来た。最初に「塩釜市の市章が写っている」と指摘したNPOみなとしほがま所属のボランティアガイド佐藤健太郎さん(84)だ。
佐藤さんは当時26歳。ノリの養殖で生計を立てていた。朝早く、ラジオで津波が来ることを知った佐藤さんは、養殖に使う船が心配になり、高台の自宅から港へ向かった。引き潮で、海のそこが見えるほどの港に驚いた直後、津波がくる。
「ドーッとうねりのようなものが来まして、『あっ津波だ!』と」
目の前に迫る津波から必死に逃げる佐藤さん。自分の船から別の船、そして別の船へと飛び乗り、最後にたどり着いたのが、「すわん丸」だった。
「すわん丸が大きかったので、よじ登って。それでも怖くなって、ブリッジから隣にあった市場の屋根に飛び乗った。で、津波が一気に来た」
すわん丸は瞬く間に流され、岸壁に打ち上げられて写真のような姿に。佐藤さんはそれを屋根の上からただ見ていた。
津波が押し寄せた塩釜の街の写真も多く残る。大通りにあふれる人。その足元はぬかるみ、何隻もの船が転がっている。屋根の上では、何かをしている女性たちが並ぶ。
チリ地震津波から逃げた恐怖がいまだに忘れられないという佐藤さん。佐藤さんの教訓は「海には決して近づかない。戻らない」だ。
東日本大震災時、佐藤さんはチリ地震津波と同じく、高台の自宅にいたが、港に近づかなかった。港に泊めていたワカメ養殖作業船は流され、今も見つからない。しかし佐藤さんは「命が一番。もう絶対、津波のときに海には行かない」と話す。
「津波からは逃げる。それしかない。高いところに逃げる、そして海には近づかない。これがやっぱり鉄則」
佐藤さんは今、ボランティアガイドとして塩釜神社などの観光名所を案内する。その際、必ず東日本大震災やチリ地震津波の体験を伝えるようにしているという。
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チリ地震津波当時の写真に関する情報をお寄せください。情報はKHBの電話(022・276・8111)かメール(khbnews@khb-tv.co.jp)へ。KHBのツイッター(
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)では、ほかにもカラー化した写真を掲載しています。(KHB東日本放送 佐藤岳史、佐藤久元)