奥浅草 地図から消えた吉原と山谷
旧吉原・山谷(東京都)を「奥浅草」と呼び、活性化のために国の特区に指定してはどうか。慶応大名誉教授の佐野陽子さん(87)と国際教養大客員教授の江原晴郎さん(69)が、共著「奥浅草 地図から消えた吉原と山谷」(サノックス刊)でこんな提言をしている。
佐野さんは嘉悦大学で学長も務めた労働経済学者。60年以上、浅草に住み、地域経済の消長を見守ってきた。浅草寺周辺の表浅草はインバウンド消費の急拡大などで元気だが、浅草の裏手に当たる旧吉原・山谷地区は地盤沈下が進み、長く活性化策を考えてきた。
佐野さんは、吉原、山谷地区の歴史的な役割を高く評価する。吉原遊郭は江戸で唯一の公娼(こうしょう)街という特権を与えられ、代わりに犯罪者の通報などが義務づけられ、治安対策に貢献した。
日雇い労働者の街として有名になった山谷は江戸時代、灯心の製造と牛馬の死体処理・皮革供給を独占。小塚原刑場が置かれ、牢番や罪人の処刑など町奉行の下請けの役割を果たした。水害時の雨水の始末、張り巡らされた運河や掘割の掃除なども担い、「江戸の都市行政の底辺を支えた」という。
住居表示から、吉原、山谷が消…