沿線では、地元の人が「ありがとう三江線」と書かれた横断幕を掲げ、列車に手を振った。坂根カツエさん(85)は、結婚して以来、実家に帰るときは三江線を使っていたといい「涙がでてきた」。江津で入院中の夫の元に通うのにも使っていて「明日からどうしよう」と話した=2018年3月31日午後2時23分、島根県江津市桜江町、井手さゆり撮影
日本海側の島根県江津(ごうつ)市と中国山地南側の広島県三次(みよし)市を結ぶJR三江(さんこう)線(108・1キロ)が31日、最後の運行を終えた。開業から88年、全て単線で電化されないまま、江(ごう)の川に沿うように山あいを走ってきた。100キロを超える路線の廃止は1987年のJR発足以降、本州では初めて。
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この日、のべ3274人が乗車した。江津駅を発着する列車(2、3両編成)は、どれも鉄道ファンで大混雑。JR西日本は乗れなかった人たちをバスで途中の駅まで運んだ。各駅ではお別れイベントがあり、沿線で「ありがとう三江線」と書かれた横断幕を掲げ、手を振る住民もいた。
三江線は1930年に一部区間が開通。戦争などでの工事中断を経て75年に全通した。住民の足として混雑した時期もあったが、過疎化や車の普及で利用者が減少。1日の1キロあたりの平均利用者は2014年度に50人まで落ち込み、JR6社の全路線で最少だった。4月1日からは代替バスが運行される。
JR三江(さんこう)線の最終運行となった31日、島根県江津(ごうつ)市と広島県三次(みよし)市を結ぶ沿線は朝から夜まで鉄道ファンでにぎわい、住民たちが別れを惜しんだ。
江津駅では、最後の出発となる列車をホームで住民たちが見送った。出発前、島根県立江津高校の佐々木是(ただし)君(17)が「勉強するにしても、部活に行くにしても大変お世話になりました。一生忘れません」と感謝を述べ、藤田莉奈さん(17)が列車の運転士に花束を贈った。
高校時代に通学で利用したという江津市の中本敦子さん(59)は「今までありがとう。それを伝えるために来ました」と、最後の列車に乗り込んだ。集まった人たちは小旗を振りながら、一斉に「ありがとう」と3回繰り返した。列車はその声に応えるように汽笛を鳴らし、定刻から7分遅れの午後7時15分に駅を後にした。
これに先だって江津駅前の複合施設でお別れの式典があり、山下修市長は「ふるさとの光景から慣れ親しんだ線路が消える。誠に寂しく、残念でなりません」とあいさつした。
広島側の三次駅では午前9時20分過ぎ、入ってくる列車を人々が拍手で迎え、運転士らに花束を贈呈。午前10時過ぎ、列車は声援を受けながら出発し、ホームには「ありがとう三江線」の横断幕が掲げられた。
最後の列車は午後9時51分、江津駅に着いた。対向する列車がイノシシと衝突した影響で24分遅れた。妻と幼い子ども2人と降り立った江津市の会社員山本隆之さん(34)は「私は三江線の踏切の音を聞いて育った。子どもにも三江線の記憶をとどめて欲しくて一緒に乗りました」と話した。