1995年の阪神・淡路大震災では多くのボランティアが活躍し、NPO法立法への機運が高まった
民間の非営利活動に法的な地位を与えたNPO法の立法にかかわった国会議員らが、議論の経過を記した記録や資料を近く国立公文書館に寄贈する。通常、法律ができるまでの過程は国会会議録など公の記録でしか知ることができないが、政党間の非公式協議、議員同士が交わした手書きメモや日記までもが含まれる。いわば「舞台裏」の証言録だ。
(withnews)NPO法20年、自民大物がこだわった2文字 非営利でも「食っていける」
1998年3月に議員立法で成立し、今年で20年になるNPO法(特定非営利活動促進法)。政治家が民間の知恵を借りて中身を練った「市民立法」で、国会で活発な議論が交わされたが、寄贈される記録からは水面下でも盛んなやり取りが行われたことがわかる。
たとえば同年2月12日、参院委員会の理事懇談会での法案審議のメモ。公式な議論の場である理事会と違い、非公式な理事懇談会は公式な記録には残らない。
「山本(保氏=公明党) この前の修正案の説明は自民党だけだったが、社さも一緒と考えてよいのか
大脇(雅子氏=社民党) 与党内では早期成立を目指すことで一致している
堂本(暁子氏=新党さきがけ) 言いたいことは山ほどある。すでにぎりぎりの交渉をやって、すでに与党内で調整ずみ。与党は一つと考えてもらってよい」
当時、法案は衆院を通過し、参院で可決されれば成立するタイミング。文言修正などをめぐる自民党、社民党、さきがけの連立政権内の攻防が浮かび上がる。
今回文書を寄贈するのは、さきがけの参院議員として審議の中心を担った堂本氏と、民間から立法を促した松原明氏だ。
政治と民間のNPO法への動きが始まったのは共に94年。さきがけが非営利活動の支援制度などについて議論を始め、民間では東ティモールの独立運動の支援などをしていた松原氏を中心に「シーズ・市民活動を支える制度をつくる会」が結成された。95年に阪神・淡路大震災が起きると、ボランティアを支えようと法案化の動きは一気に加速。与党3党のプロジェクトチームで議論が進んだ。
焦点の一つがNPOによる政治活動だった。自社さの与党内では、団体として選挙活動を支援したり、推薦したりすることは認められないという点では一致していたが、「政策提言をする団体」をどう扱うかという問題が残されていた。
寄贈される記録によると、政策提言する団体もNPOの範囲に含むべきだと主張したさきがけと社民に対し、「自民党議員の中には政策提言を行う団体も構わないが、国の施策に反対する団体に対してはなぜ法人格を付与する必要があるのかという意見があった」。自民の与謝野馨政調会長代理とさきがけの渡海紀三朗政調会長が折衝した。
「与謝野議員はやはり政治活動を主たる目的とする団体は対象外と主張していた。(中略)渡海政調会長は、この問題は政党の哲学の違いなので政治決着しかないとおっしゃっていた。(中略)結果的には、自民党が妥協し、最終的に原案から『施策』という言葉を削除し、『政治上の主義を推進することを主たる目的としないこと。』という要件で合意した」
最終的に、NPO法ではNPOの要件を「政治上の主義を推進し、支持し、又はこれに反対することを主たる目的とするものでないこと」と明記した。現在、アドボカシーと呼ばれる政策提言をNPOができるのはこの時の議論の成果だ。
NPOの活動分野をどう規定するかが焦点となっていたこともわかる。NPO法では活動分野が列挙されているが、当初7項目を主張した自民に対し、さきがけは15項目まで拡大することを求め、最終的に12項目に落ち着いた。その後の法改正で追加され、今は20項目となっている。
また、文書には松原氏をはじめとする市民の人たちが多く登場して意見を寄せ、政治家たちも頼りにしている様子がわかる。
たとえば95年9月21日の堂本氏の日記にはこうある。「出席者 法制局2名、松原、堂本(中略)今日の打ち合わせの目的は、シーズの法律案、さきがけの法案の要綱について法制局と具体的に法制化について打ち合わせることにあった。市民が主体である以上、市民の意志が十分反映される法律でなければならないと考えているので、常にこうしたプロセスをふむことが最善の策だと信じてのことである」。NPO法が「市民立法」と言われるゆえんだ。
段ボール12箱分の文書は6月…