您现在的位置: 贯通日本 >> 资讯 >> 娱乐(日语) >> 正文
ジャンルも地域も越えて 阿部展也展、広島で

写真・図版


「太郎」1949年、新潟県立近代美術館・万代島美術館蔵


写真・図版


写真・図版


写真・図版


写真・図版


「こんな絵を描いた人」と、説明するのが難しい。新潟県出身で、ローマで亡くなった作家、阿部展也(のぶや)(1913~71、本名・芳文)は、約40年の画業のなかで、作風をめまぐるしく変えていった。国や地域を行き来しつつ、ジャンルや分野も横断し続けた阿部の足跡をたどる展覧会が、広島市現代美術館で開かれている。


展示は年代順で、作品のほかに旅先のスケッチや写真なども並ぶ。「振れ幅」をみせることで、作家の全体像を捉えようとする試みだ。


阿部は独学で絵画を学び、瀧口修造と共作した詩画集「妖精の距離」(37年)で注目を浴びた。瀧口の詩に添えた素描は、生き物のようななまめかしさを感じさせつつ、すっきりと洗練されている。このころ阿部は、写真の分野でも才能を発揮し、前衛写真に取り組んだ。


戦中は写真の腕を見込まれて、フィリピンで従軍。戦況の悪化で収容所に抑留され、46年に日本に戻った。その後の10年間は、作風をさまざまに変えながら、多岐にわたる人間像を描いた。


骨が浮き出るほどやせ細った人物が横たわる「飢え」(49年)は、戦中の極限状態を思い起こさせる。一方、同じ年に描かれた「太郎」や「花子」は写実的な要素が薄れ、顔や体がデフォルメされている。


こうした具象的なモチーフは、59年以降姿を消す。蜜蠟(みつろう)を使った「エンコースティック」という技法を導入し、画面をごつごつと盛り上げたり、木片や新聞紙と組み合わせたり。多彩な表情を持つ抽象画を手がけた。


64年には、画面の物質感を強調する作風から一転させ、色鮮やかで幾何学的な形を描くようになる。


50年代後半以降、阿部は海外を飛び回り、62年からはローマに移住した。作風の変化は、海外の作家たちと親交を深めつつ、最先端の動向に敏感に反応していたからこそだろう。


一方で、インドや旧ユーゴスラビアを訪れてのスケッチや、墓石彫刻の調査なども行っていた。松岡剛学芸員は「モダンアートの先端を追求した部分と、土着的な関心とが並行して見えてくる。分野的広がりの中で、作家を捉え直してみてほしい」と話す。


「阿部展也―あくなき越境者」展は20日まで。一般1030円。月曜休館。美術館(082・264・1121)。6月23日から新潟、9月15日から埼玉へ巡回する。(松本紗知)



新闻录入:贯通日本语    责任编辑:贯通日本语 

发表评论】【加入收藏】【告诉好友】【打印此文】【关闭窗口

相关文章

王毅外交部長、外国メディアに「真実の中国報道」求める
重慶動物園に「氷と雪の世界」 市民が「北国の冬」を体験
無形文化遺産の技術を伝えて貧困者支援 より張り合いのある暮らしへ
和歌山アドベンチャーワールド生まれの赤ちゃんパンダ、名前募集開始
中華全国新聞工作者協会が「中国ジャーナリズム発展報告」発表
25日は成都ジャイアントパンダ繁育研究拠点の無料開放日
雪と戯れるパンダ 四川省成都
試練に対処し、BRICSは手を携えて前進
パンがなければお菓子を食べれば良いじゃない?中国のネットで大ブレイクの「ベルサイ
中国で2番目に大きいパンダ繁殖拠点が黒竜江で着工
ジャージャー麺、大丈夫だよ!
羊を数えても眠れない時、足を布団の外に出してみたら?
「春城」の通りを埋める満開のジャカランダ 雲南省昆明市
米ニュージャージー州ベルビル市長が昨年11月に新型コロナ感染
手を携えて最も厳密な共同対策網を構築
人類と重大な感染症の戦いに手を携えて勝利する
成都ジャイアントパンダ基地営業再開!今年初めて誕生した双子の赤ちゃんも公開
おっさんジャパン一番の「働き者」、もしいなかったら…
長友の小さなジャンプ、最先端テク 日本の定説にない技
双子の兄追い「野球に一目ぼれ」 女子マネ、一緒に夏へ
野口啓代が初代女王に クライミング複合ジャパンカップ
DF酒井宏樹、控え組への気配り あえて頑張りに言及
新ジャンル狙う 「世界で主流」のティッシュを輸入発売
15試合で10本塁打 清宮をあえて2軍で鍛える理由は
「パスじゃダメだ」頭よぎるギリシャ戦、大迫ゴール生む