世界中を不況に陥れた2008年9月のリーマン・ショック。米住宅バブル崩壊は金融商品を通じて世界に損失をまき散らした。巨利をむさぼったウォール街は政府に救われ、不公正への怒りは社会に深く刻まれた。バブル再燃が語られる今、当事者たちは何を思うのか。(ニューヨーク=江渕崇)
異変 気づいた時は手遅れ
貸せば貸すほど大もうけ。宴(うたげ)はずっと続くと信じ込んでいた。異変に気づいたときには手遅れだった。
1995年、米ロサンゼルス郊外でブラッド・モリス氏(62)は仲間数人と「ニューセンチュリー・フィナンシャル」を立ち上げた。信用度の低い人向けの住宅金融「サブプライムローン」に特化した貸付会社だった。
2001年の米同時多発テロが、皮肉にも飛躍のきっかけになった。景気を下支えしようと米連邦準備制度理事会(FRB)が利下げを加速。低金利の住宅ローンを貸せるようになり、住宅価格もうなぎ登りだった。
審査は12秒以内――。効率的にローンをさばくため、借り手が自己申告したデータを入力すれば、自動的に融資を判断するプログラムをつくった。住宅価格が上がる限り、もし返済に行き詰まっても家を売ってもらえばすむ。後から思えば、審査は緩すぎた。
手がけたローンは00年の40億ドルから06年は600億ドル(約7兆円)に迫った。従業員約8千人、200カ所以上の事務所を持つ全米最大級のサブプライム会社になった。「といっても、うちの役回りはただの導管。すべてを振り付けたのは、ウォール街だ」
米大手投資銀行はまず、ローンの元手をサブプライム会社に貸し付けた。ローンが売れると、今度はそれをまとめて買い取って証券化。世界中の投資家に売りまくった。「どうしたらもっとローンを譲ってもらえますか?」。モリス氏がニューヨークに出張するたび、ゴールドマン・サックスなどの銀行家がせっついた。
住宅価格は06年を境に下落に転じる。しかし貸し付けを減らす決断はできず、ウォール街も貪欲(どんよく)さを失わなかった。宴のさなかで、「そこが頂点だとは確信できなかった」。焦げ付きが増えると、投資銀行からローンの買い戻しを迫られた。会社は07年春にあっけなく破産。一連の金融破綻(はたん)の先駆けとなった。
モリス氏は会社を追われ、米当局と投資家に罰金や賠償金を支払った。「一番荒稼ぎしたウォール街は、あとで政府に救われた。なんて皮肉だ」
ウォール街救済、ツケは納税者に
宴のツケは、納税者に回された。証券大手リーマン・ブラザーズは例外的に破綻に追い込まれたが、計450億ドルの公的資金を受け取ったシティグループをはじめ、大手金融機関はそろって政府に救済された。
当時、米財務次官補として銀行救済策を練ったフィリップ・スワゲル・メリーランド大教授は「フェアでないという人々の怒りはもっともだ」と認めるものの、ほかに選択肢はなかったと話す。
「リーマンは担保が不足し、助ける法的な手立てがなかった。一方で、ほかの大銀行を救わなければ、結末はもっと悲惨だった」
一方、金融機関を監督する連邦預金保険公社(FDIC)総裁だったシーラ・ベアー氏は悔やむ。「私たちは大銀行を守るのに一生懸命になりすぎ、ローンの借り手など普通の人を救えなかった」
米国では80年代後半以降、貯蓄貸付組合(S&L)と呼ばれる小さな金融機関が相次ぎ破綻。「S&L危機」では、千人以上が起訴された。リーマン・ショックにからんで刑務所に送られた米大手金融機関の経営者はいない。人々が見せつけられたのは逆に、巨額の退職金やボーナスを懐に入れる金融機関幹部たちの姿だった。
ジョージア大の歴史家、スティーブン・ミーム氏は「危機が残したのは深い経済の傷痕だけでない。過去の経験から人々が当然期待することが起きなかった。その怒りが、今の(トランプ)大統領を生み出した破壊的な政治運動へと注がれたのではないか」とみる。
危機の後、右派からは草の根保守のティーパーティー(茶会)運動が、左派からはウォール街に抗議の声を上げたオキュパイ(占拠)運動が勃発。16年大統領選でのトランプ、サンダース旋風へと米社会は分断の度合いを深めていく。
緩い規制、戒めの声も
「大きすぎてつぶせない」。この理屈は、政府が銀行を救う根拠になってきた。救済合併の結果、米国の大銀行は六つの金融グループに集約され、危機前よりむしろ大きくなった。
FDIC総裁だったベアー氏は09年、金融大手でも特に経営状態が悪く、公的管理下に入ったシティグループの分割を探ったと明かす。経営能力を超えて肥大化した結果、リスクを管理しきれなくなり、損失を膨らませたとの診断からだ。だが賛同は広がらなかった。
当時、シティの最高経営責任者(CEO)は外部出身のビクラム・パンディット氏。危機深まる07年末に就任した。社内に最高情報責任者(CIO)が51人いた。合併や買収を重ね複雑になった組織と格闘し、資本増強に走り回った。「大きすぎてつぶせない」懸念は今も残ると認めつつ、政府主導の分割には反論する。「いったん危機を脱して健全性を取り戻したら、どんな形が効率的かは市場が考えることだ」
リーマン・ショックの教訓を踏まえ、オバマ政権下で10年に成立した金融規制強化法(ドッド・フランク法)は「大きすぎてつぶせない、を終わらせる」とうたった。有事に備えて金融機関の資本を厚くさせた。預金者のお金を投機的な取引にあてるのを禁じる「ボルカー・ルール」も導入した。
トランプ政権は今年、規模の小さい金融機関向けの規制を緩めたが、骨格は変わらない。「銀行が大きいこと自体が問題なのではなく、身の丈に合わない負債が問題だった。前回経験したような危機は、もう起こらない」。下院金融サービス委員長として法律に名を残した元下院議員、バーニー・フランク氏は断言する。
ただ、金融危機のリスクを05年に警告したシカゴ大教授、ラグラム・ラジャン氏(前インド中銀総裁)は「銀行には多くの規制を課したのに、それ以外の金融分野への規制は緩いままだ」と楽観を戒める。「教訓の一つは、(借り入れなどで元手を膨らませる)レバレッジが大きいところに注意を払え、ということだ」
学生ローン「サブプライムそっくり」
高騰する株価や不動産、巨額の合併・買収(M&A)。立ち直ったかに見える米経済だが、下支えしたのは過去に例のない金融緩和だ。そこへ大型減税などトランプ政権の景気刺激策が加わり、再びバブルの兆しが出ている。
ニューヨーク連銀によると、米家計が抱える負債は危機前の水準を上回り、さらに増えている。とくに目立つのは学生ローンだ。この10年で2・4倍に増え、住宅ローンに次ぐ規模まで膨らんだ。
「ローンのない友人たちは貯金せずに航空券を買い、財布を気にせずディナーに行く。私にそんなぜいたくはできない」
ニューヨークに住むライターのコートニー・ジレットさん(35)は、大学院の2年間だけで4万5千ドル(約500万円)の学生ローンを借りた。収入に合わせて毎月の支払額を抑えたら、利子すら返しきれない。残高はいま4万8千ドルある。
FDIC総裁を退任後、ワシントン・カレッジの学長を務めたベアー氏は、学生ローンをめぐる構図が「サブプライム問題とそっくりだ」という。まともな審査もないまま多額の融資が行われ、大学もそれを前提に授業料をつり上げてきた。私立大学の平均年間授業料は10年前から3割近く増え、3万5千ドル(約390万円)に迫る。リーマン・ショック前の住宅価格のような急騰ぶりだ。
ベアー氏は言う。「家計も企業も政府も負債を増やすなか、FRBの利上げが進んでいく。火種は見えているが、いつどんな危機になるのか、どこまで防げるのかはだれも分からない」