技能実習生として来日し、何も知らされないまま原発事故の除染作業に従事させられたベトナム人男性を、昨年春から秋にかけて取材した。実習生の満期となって帰国した彼がどうしているか気になり、今年1月、ハノイ郊外にある彼の実家を訪ねた。
気温は13度。小雨模様の肌寒い午後だった。実家にエアコンはなく、グエン・ドク・カインさん(25)と両親の3人は、コートや厚手のセーター姿で私を迎えてくれた。
豚の飼育やキノコ栽培をしている両親との3人暮らし。カインさんは定職には就いていなかった。近いうちにまた日本で働きたいからだという。
昔の上司が再会を待ちわびてくれている。「ひどい目にもあったが優しい人もいた。いい国だと思う」
昨年3月、私が初めてカインさんに会ったとき、彼は日本に来たことを激しく後悔していた。
「仕事は簡単。だれでもできる」
カインさんが初めて日本に来たのは、2015年9月。高校を卒業してまもなく、「稼げると思ったし、日本に関心があった」と、技能実習生に手を挙げた。
盛岡市の建設会社で働きながら「建設機械・土木」の技術を学ぶという触れ込みだった。実習生の受け入れ窓口である監理団体の代表からは「仕事は簡単。だれでもできる」と説明されていた。
カインさんがまず連れて行かれたのは、福島県郡山市。そこで5カ月間、住宅地の土壌をはぎ取ったり、側溝を洗ったりした。まさか、福島第一原発事故の後始末である除染作業を自分がやらされているとは夢にも思わずに。
その後、岩手県釜石市で住宅解体の作業をし、16年9月に再び福島県に入った。避難指示区域だった同県川俣町で、国直轄の建物解体工事に従事した。
スコップで落ち葉などを集めながら、心が騒いだ。住民の姿が見えない町。マスクをつけないと近づけない仕事場――。
「特別手当」を渡されたとき、カインさんはさすがに怖くなって現場の監督者に聞いた。
「親方、これは何ですか?」
「危険手当だ」
「どんな危険があるんですか?」
「嫌なら帰れ」
何かおかしいと思いながらも働き続けた。日本に行くため、「送り出し機関」と呼ばれる現地の人材派遣会社に160万円払っていた。100万円超は銀行から借りた。ベトナムでは平均年収の数年分に相当する借金を返さなければならなかった。日本での手取りは月約12万円。ほかの会社に移ろうにも、実習生は自由に勤務先を変えることを禁止されている。
17年に入ると、福島県飯舘村や山形県東根市、仙台市と転々とし、3月にまた川俣町で約2カ月間、建物解体作業をした。
その直後、知りあったジャーナリストから「除染は危ない」と説明され、放射能のリスクに身震いした。11月、会社の寮を飛び出し、技能実習生の支援者が運営する郡山市の保護施設に身を寄せた。
保護施設は2階建ての民家。同じように実習先から逃げてきたベトナム人男女12人と共同生活した。昼間は寝て、夜はテレビでサッカー観戦。そんな日がたつごとに焦りは募った。技能実習生の期間は最長3年(当時)。保護施設に来たとき、残された滞在期間は1年を切っていた。
「除染実習は認めない」
「自分の体がどうなるのか、とても心配です」
18年春、カインさんは東京・上野公園で開かれた外国人労働者の支援集会の壇上で「告発文」を読み上げていた。支援者らに背中を押され、リスクを知らされずに除染作業に従事していた経験を告白したのだ。
このスピーチから間もなく、新聞やテレビが「除染実習生」と大々的に報じた。国も重い腰を上げ、「除染作業は技能実習の趣旨にそぐわない。これからは除染作業を含む実習計画は認めない」と宣言した。
法務省は、実習生を受け入れている他の監理団体に対し、カインさんの実習先を探すよう依頼。昨年8月に、大手トンネル施工専門の建設会社に迎え入れられた。
仕事は、三陸海岸の宮古市と盛岡市を結ぶ新道路のトンネル工事。現場から車で5分ほどの宿舎で、他の従業員約20人と寝起きした。うち8人がカインさんらベトナム人実習生だった。「専門の日本語を覚えるのが難しかった」
実習生としての満期である18年9月下旬まで、わずか2カ月だったが、忘れられない思い出もできた。同宿の40歳代、50歳代の日本人とお酒を酌み交わした。彼らにとってカインさんは息子と同世代。カインさんが交際しているベトナム人実習生の女性の話などで盛り上がった。
上司だった男性は「仕事も分からないなりに一生懸命やってくれた。またぜひ、うちで働いてほしい」と懐かしむ。
父は知っていた
ベトナムに帰国後、また日本に行きたいというカインさんのことをどう思うのか。ハノイ郊外の実家で私は両親に聞いてみた。すると2人は「一緒にいてほしいが、子どもがやりたいことを応援したい」と口をそろえた。
母親のダン・ティ・ランさん(53)は「日本の街はきれいで企業もしっかりしている。人も良い、と頻繁に海外旅行している親戚から聞いた」と語った。
カインさんは、「心配をかけたくない」と日本で除染作業をさせられていたことを両親に打ち明けていなかった。
カインさんが席を外したとき、父親のグエン・スン・バーさん(56)が私につぶやいた。
「最初の会社は良くなかったようだ。体が悪くならないか気が気でない」
お父さんは知っているようだ、と後で耳打ちすると、カインさんは「なぜ」と首をかしげた。「(交際していた)彼女が話したのかな……」。でも、自分から両親に除染のことを持ち出すつもりはないという。
カインさんが日本で稼いだお金で、実家の2階部分は建て増しされていた。あと数年は日本で働いてから帰国し、結婚して自分たちは2階で暮らす――。カインさんはそんな未来図を描いている。
実習制度が抱える「奴隷労働」の構図
日本で働く技能実習生は約30万8千人(18年10月)にのぼる。受け入れ企業の多くが実習生に感謝し、日常生活にも気を配っている半面、実習生に対する賃金の未払いや超過勤務などの不正行為も後を絶たない。
多くの実習生には、渡航のためにつくった借金の返済というプレッシャーがあり、片言の日本語で労働者としての権利を十分訴えられない。こうしたことも、人権軽視の労働の温床になっているとされる。
NPO法人「移住者と連帯する全国ネットワーク」代表理事の鳥井一平さんは指摘する。
「(実習生を雇う)企業の社長はもともと気が良い人が多い。でも時間がたつと『帰国させられるのが怖い彼らには何をやってもいいんだ』と増長し、パワハラやセクハラに走る。人をゆがませる奴隷労働の構造問題がある」
「闇」を抱えた技能実習制度を手放さないまま、外国人の人権を尊重した共生社会を築けるのか。カインさんの物語は問うている。