甚大な被害を受けた熊本県益城町では14日、木山上町地区の住民約30人が町設置の献花台に集い、犠牲者を悼み、町の復興を誓った。地元の歴史と復興を学ぶ町歩きや、災害備蓄食を食べる催しも開き、地域のつながりを確かめあった。
「あっという間だけど、長い3年だった」。町の交流情報センター・ミナテラスに設けられた祭壇に花を供えた中村光男さん(58)は、そうつぶやいた。
地区では村上ハナエさん(当時94)、正孝さん(同61)親子が、前震による自宅の倒壊で犠牲になった。再建した住宅で遺族が営んだふたりの法要には、地区から花を届けた。
中村さんは小さい頃、ハナエさんらが営んでいた商店にお菓子や生鮮品を買いに通い、正孝さんのバイクの後ろに乗せてもらったこともある。「普通の暮らしが突然失われるなんて思いもしなかった。日常のありがたさをかみしめました」
古くから町のにぎわいの中心だった木山一帯は前震と本震の両方に襲われ、建物の8割が損壊、解体された。大規模な区画整理の対象地域にも指定され、草の生えた更地も目立つ。
この日は、復興の進捗(しんちょく)と地元の歴史を知るための町歩きも開催。参加者は、倒壊した神社や石碑などをめぐりながら「ここの被害はひどかったが随分きれいになった」「まだここの家の人は帰ってきていない」と口々に話しあっていた。
最後は公民館に集まって町の防災講和を聞き、アルファ化米などの備蓄食を実際に調理し、試食した。
主催した地元まちづくり協議会の富田正寿会長(70)は「復旧復興をめざして日常に追われるなか、地震のことが風化しつつあるようにも感じていた」という。「こうして集まって3年前のあの日を思い出すことができ、復興や次の災害に備えるための、地域の結束を確認できました」(竹野内崇宏)
「三姉妹のような」母を奪った地震
熊本県益城町馬水では、前震で亡くなった宮守陽子さん(当時55)の自宅跡に遺族や近所の人が次々と訪れた。いつも座っていたソファがあった辺りに献花台が設けられ、花を捧げて陽子さんを懐かしんだ。
福岡県で暮らす陽子さんの長女(27)と次女(24)も線香をあげ、手を合わせた。「三姉妹のようだった」という仲の良い親子を突然引き裂いた地震。次女は、母からいつもLINEで届いていたメッセージや料理の写真を、いまでも大切に保存している。友だちとけんかした話も、好きになった人の相談も、すべて共有していた母を失った喪失感は計り知れない。
次女は「今も毎朝毎晩、必ず母の仏壇にお参りしている」と言う。長女は「『前を向いていこう』というようなメッセージがテレビで流れると、自分が置いていかれている感じがする。私はまだ、そこまで前向きにはなれない」。(神崎卓征)