奈良県大和郡山市のシンボル、郡山城跡。天正年間に築城が始まり、豊臣政権期に整備された。明治に入り城郭を失ったが、近年は天守台が展望施設として復元され、現在も整備が続く。現場を一目見ようと訪れることにした。
案内人は大和郡山市の文化財保存活用係の青山加奈子さん(29)にお願いした。青山さんとは、郡山城跡から約600メートル離れた近鉄郡山駅で待ち合わせた。「駅のすぐ南側を郡山城の外堀が通っていたんですよ」と地図を手に教えてくれた。外堀は城下町の周りを約7キロにわたって造られたという。
「せっかくなので城下町の様子も見てみましょう」。青山さんと一緒に歩いたが、普通の住宅街にしか見えない。ただ、地図をみると「車町」「豆腐町」「北大工町」など当時の地名が今もちゃんと残っている。
名物は逆さまのお地蔵さん
大和郡山市役所そばの柳御門跡、鉄(くろがね)御門跡を抜け、二の丸へ。天守台へは近道もできるが、今回は追手門から入ることにした。追手門を抜け、緩やかな上り坂の先に郡山城跡が目に入った。現在は本丸と毘沙門曲輪(くるわ)をつなぐ極楽橋の再建工事の真っ最中だった。城主や有力な家臣はこの橋を渡って入城したとされる。
柳沢神社を抜け、天守台をめざす。2017年に天守台の石垣を修復し、展望施設を整備した。
「天守台の石垣におもしろいものがあるんです」と青山さんが教えてくれた。石垣に積まれた自然石の中に、妙にきれいな直方体の石が交じっている。「これは墓石、あっちは五輪塔ですね」と青山さん。豊臣秀吉の弟、秀長の時代、急ピッチで城作りが進んだ。自然石では足りず、様々な石が転用されたという。
石垣の中にはお地蔵さんが逆さ…