奈良県香芝市の国史跡、平野塚穴山(ひらのつかあなやま)古墳(7世紀後半)で、古墳の斜面に凝灰岩の石材が張り巡らされていたことがわかった。市教育委員会が25日発表した。この張り石の特徴は、飛鳥時代(6世紀末~8世紀初め)の天皇陵とみられる二つの古墳と共通し、3例目となる。専門家は、飛鳥時代中ごろに即位した斉明(さいめい)天皇の父にあたる茅渟(ちぬ)王など天皇の一族の墓の可能性が高まったと指摘している。
市教委によれば、平野塚穴山古墳は約25~30メートル四方の二段式の方形の古墳(方墳)とされ、これまでの調査で身分の高い人に使われる漆塗りの棺(ひつぎ)「夾紵棺(きょうちょかん)」の破片などがみつかった。
今回出土した張り石は一辺約15~30センチの方形の凝灰岩で、斜面の一部(2メートル四方)に残っていた。少なくとも墳丘上段の表面を張り石で飾っていたとみられる。凝灰岩は大阪と奈良の府県境にある二上山(にじょうさん)から産出した可能性が強い。
凝灰岩の石材を墳丘に張り巡らせる特徴は、斉明天皇陵との見方が強い同県明日香村の牽牛子塚(けんごしづか)古墳(国史跡)と、飛鳥時代後半に律令国家づくりを進めた天武(てんむ)天皇と妻の持統(じとう)天皇の合葬墓とされる野口王墓(のぐちのおうのはか)古墳に限られる。いずれも7世紀の天皇墓の特徴を示す八角形の古墳(八角墳)とされ、夾紵棺が安置されていた可能性が高い。市教委は両古墳と共通した特徴から、平野塚穴山古墳の被葬者も天皇の一族の可能性が高くなったとみる。
一方、古墳内部の石室の調査で…