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記憶にない母の名、刻まれた 指でなぞった「平和の礎」

令和最初の沖縄慰霊の日は大雨となった。それでも沖縄県糸満市摩文仁(まぶに)の「平和の礎(いしじ)」には朝から多くの人が訪れ、花を手向けて手を合わせた。戦後74年が経っても、沖縄戦から続く基地問題に苦しむ沖縄。遺族たちは心を痛めながらも、平和への誓いを新たにした。


沖縄戦などで亡くなった約24万人の名前が刻まれた黒御影石がびょうぶのように並ぶ平和の礎。那覇市の沢岻(たくし)正喜さん(80)は水や花を供え、静かに目を閉じた。6人家族で助かったのは自分1人だけ。小さな声でつぶやいた。「自分だけ生き残ってごめんね」


西原町出身。米軍が迫ると一家で壕(ごう)に逃げたが、入り口で砲弾が炸裂(さくれつ)し、母と幼い妹はほぼ即死した。祖父と兄、弟の3人も大けがで動けず、その場に置いて親戚たちと南へ逃げた。当時6歳。「母が息を引き取る姿も鮮明に覚えているのに、泣いた記憶がない。兄たちと別れる時も何の感情もなかった。完全にまひしていた」


沖縄本島南端の喜屋武(きゃん…


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