柴田隆浩さん=佐藤正人撮影
被災前の熊本の風景を映した映画「うつくしいひと」のチャリティー上映会が全国に広がっている。これまで8館で上映され、観客延べ3千人から300万円を超える義援金が集まった。29日は約30館で上映。6月には米ニューヨークでの上映も決まった。
行定勲監督、橋本愛さん、姜尚中さん、高良健吾さんなど、制作陣も出演者も熊本出身者でつくった映画。主題歌を担当したバンド「忘れらんねえよ」の柴田隆浩さん(34)もまた熊本出身で、地震で実家が被災した。柴田さんに主題歌に込めた思いや熊本の思い出、被災後に訪ねて感じたことを聞いた。
熊本の美しさ感じて 映画「うつくしいひと」上映会
特集:映画「うつくしいひと」
◇
――エンディング曲に映画名を冠にした「うつくしいひと」を書き下ろしました。淡くて切ない恋愛物である映画の世界観をそのまま映したようなラブソングですね
あの曲は僕の人生そのものですね。好きな人への憧れ、近づきたくても近づけないもどかしさ、忘れたくても忘れられない思い。そういった感情を表現しました。
行定監督とは同じ熊本出身ということもあって親交があり、今回の映画の主題歌のお話をもらいました。
最初の歌詞は、もっと個人的な内容を込めたテイストだったんですけど、監督から「誰もが感情移入できる歌詞にしよう」「何年、何十年たっても歌い継がれるような普遍的なバラードにしよう」とアドバイスをいただいて、楽曲は変えずにいまの歌詞にしました。このような歌詞の世界観でバラードをつくることは初めてなので、バンドとしても新たな境地を開けました。
――曲にはご自身の熊本での思い出も込められているのですか
んー。何とも言えないですね。
中学時代は「2軍」と呼ばれていました。今で言うスクールカーストの下の方の存在。勉強はできたけど、運動ができない。服もださい、目立たない。そんな少年でした。
高校は進学校で、ヤンキーがいなかったから「これは目立つチャンスだ」と思って高校デビューしました。好きなロックスターのファッションをマネして、同じ高校の友だちとバンドを組んで、地元のライブハウスに出入りして。有名とまではいかないけど、イケてるグループには仲間入りしました。
でも、モテなかった。同級生の女の子に何度も何度も振られました。たとえ振られたとしても、その子に彼氏ができたとしても、その子自身の魅力が変わるわけじゃない。だから、嫌いになれないし、諦められなくて。最後は電話も出てもらえなかったけど、好きで好きでたまらなかったですね。
彼女は結婚した今、僕にとって、もはやペガサスのような形而上(けいじじょう)の存在ですが、今回の歌詞にも書いたように彼女への思いが、僕がいま生きている理由のひとつです。
――熊本で過ごした18年間は、今の音楽活動にどんな影響を与えていますか
高校時代に自分の世界観・価値観が決まっちゃった感じはします。とにかくバンドと恋に明け暮れて、そればっかり考えていましたから。最高に楽しかったし、その日々の全てが青春だったなと思います。
熊本にはもちろん思い入れはありますが、場所が熊本だったから、熊本は特別なんだ、とまでは言い切れないです。場所より僕は、その青春の日々を誰と過ごしたかの方が大事だった気がします。だからそこが、福岡だったり札幌だったり、別の場所だったとしても同じじゃないかな。
――地震後、ご実家には
帰りましたよ。1週間後に日帰りで。両親と連絡は取れていたけど心配だったし、顔を見せれば喜んでくれるかなと思って。
被災した熊本市内は、建物がガタガタで、店も開いていないし、街の機能が停止している感じがしました。街が沈んでいる感じ。でも、ショックでぼうぜん、とはならなかったです。目の前にあることは現実ですから。受け入れて、その先を考えるしかないなと思いました。
実家は損壊していました。傾いちゃって、中はグチャグチャになっていて。両親には「頼むから避難所に行ってくれ」と言ったのですが、「いや、ここがいい」と言う。僕は被災関係者ではあるけど当事者ではないので、もうそれ以上は言えないですよね。過剰に心配するのもストレスを与えちゃうし、違う気がします。
ただ、被災関係者になってわかったこともあります。
東日本大震災のとき、具体的には募金ですが、僕は僕なりに支援をしました。けれども、いま思えば、そのときはどこかひとごとのように思えていた。共感や感情移入まではできなかった。
熊本地震で家族や友人など知っている人が被災して、例えば、いつもあった近所の家が倒壊していて、「危険」を示す赤い札が掲げられているんですね。「ここに住んでいた○○さん、今どうしているんだろう。これからどうするんだろう」と思ったときに、同情を超えた感情がありました。理不尽さへの悲痛というか……。
――今後、復興にはどう関わっていきますか
生活基盤を安定させるには、お金の支援は最重要だと思います。僕の実家はおそらく建て直さなければならないのですが、相当額の費用がかかります。
義援金を集めるために「うつくしいひと」のチャリティー上映会にはできるだけ参加したいです。ただ募金してくださいと訴えるより、映画を介在させた方が募金する行為に、より満足感が得られるでしょうから、ひとりでも多くの人に「うつくしいひと」を見てもらって、募金してもらえるように活動したいです。
あとは楽曲として「うつくしいひと」を使って支援ができないかと考えています。
でも、気持ちを高めすぎたり、がんばり過ぎたりは続かないと思います。行定監督とも「復興は長期戦だ。何年も何年もかかるぞ」と話しているのですが、とにかく継続していくことが大事ですよね。
お金以外では、僕は音楽活動をしているので、音楽を通じて明るい気持ちや楽しい気持ちを届けたいです。
なんだろうな。
うまく伝わるかわからないけど、「苦しんでいる人を助けましょう」というより、「前を向いていこうぜ、イエーイ」というテンションで、支えていきたいですね。(聞き手・佐々木洋輔)
◇
《しばた・たかひろ》 1981年、熊本市生まれ。県立熊本高校卒。2008年にロックバンド「忘れらんねえよ」結成。ボーカルとギターを担当。11年「CからはじまるABC」でメジャーデビュー。3rdアルバム「犬にしてくれ」がミュージック・ジャケット大賞2016で準大賞受賞。2月にベスト盤「忘れらんねえよのこれまでと、これから。」をリリースした。34歳