横浜DeNAベイスターズの白根尚貴選手=神奈川県横須賀市の横須賀スタジアム、山本和生撮影
■横浜DeNAベイスターズ 白根尚貴選手
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開星高校(島根)のエースで中軸打者として3度甲子園に出場し、「山陰のジャイアン」と高校野球ファンに親しまれた横浜DeNAの白根尚貴選手(23)。プロ入り後はけがにも苦しんだが、新天地の今季は1軍初出場を果たすなど、輝きを取り戻しつつある。島根で過ごした高校時代の思い出、後輩球児たちへのメッセージを聞いた。
――高校時代の一番の思い出は
高校2年で初めて出た夏の甲子園の仙台育英戦ですね。先発し、リードして迎えた9回2死満塁で相手が初球を打ち上げた。勝ったという安心から自然にガッツポーズが出たんです。打球を見ようともしなかった。歓声で振り返ったらボールが返って来て、ランナーも次々とかえって、落としちゃったんだなって(結果は逆転負け)。その時はランナーをためたのが良くなかったなと自分を責めていたような気がします。
――当時の開星はどんなチームでしたか
やりたいことをやり、だめなことはだめだと言う、メリハリがしっかりついているチームだった。それに県大会最多タイの9本塁打の記録を持っているほど打つ方がメインでした。練習で全部を伸ばそうとは思っていませんでしたね。高校って2年半しか現役でやれない。打つのが得意な選手は打つことに重点を置いて打撃8、守備2の割合でも良いくらいだと思います。
――プロ入り後は苦しい時期が続きました
1年目、キャンプインと同時にひじを手術し、1年を棒に振りました。食べる量を減らしてないのに1年半で体重30キロ近くも落ちるなんて、普通はないことですよね。苦しい時期を乗り切れたのは支えてくれた親や入団させてくれた球団、ファンの方や僕らに夢を見てくれる子どもたち、そういう方々に恩返ししたいという気持ちでした。
――ソフトバンクとの2年目の育成契約を断って、トライアウトを受けました
育成契約の選手は1軍に上がれる権利はないんです。確率は低くても、1軍に出場できる支配下選手としてほかのチームに拾ってもらえればという思いで受けました。
――DeNAに入団し、4月には1軍で初出場も果たしました
まだ上であまり打席に立っていないので、どんな力を持ってるんだろうというお試しで上げてもらったと思うんです。2軍の試合では1軍レベルのピッチャーから打てるんですけど、1軍にいて1軍のピッチャーを打つっていうのは、甲子園とはまた違った空気の中でのプレーなんで、まだ緊張してしまうところがあります。そこを今は2軍でしっかり克服することしかないかなと思います。
――高校時代は「山陰のジャイアン」のニックネームも
いつのまにか出てきていつのまにか定着して。今でも試合で「ジャイアン、ジャイアン」って歓声が飛ぶくらいなんですよ。浸透しているので嫌じゃないですけど、ただ痩せたので、もうジャイアンじゃないですからね。
――島根の球児にメッセージをお願いします
限られた高校野球生活で、負けたら終わりの状況。欲を出すなというのは無理ですけど、自分の長所を伸ばすことに集中して勝つ意識を持って頑張ってほしいなと思います。(聞き手・内田快)
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しらね・なおき 1993年、松江市生まれ。右投げ右打ちの一・三塁手。高校時代は通算40本塁打。2011年のドラフトでソフトバンクに内野手として4位指名され入団した。14年に戦力外となり育成契約を結ぶ。今季からDeNAに。イースタン・リーグで3、4月の月間MVPに選ばれた。好きな食べ物はササミ、サケ。186センチ、90キロ。