您现在的位置: 贯通日本 >> 资讯 >> スポーツ >> 正文

遠くの夢、身近に感じて 次世代育てる「離島甲子園」

作者:佚名  来源:asahi.com   更新:2018-7-3 16:51:28  点击:  切换到繁體中文

 

写真・図版


中学生を指導する中庭八寿彦さん=2018年6月12日、長崎県対馬市


写真・図版


写真・図版


島の子どもに夢と希望と勇気を与えたい――。元プロ野球投手の村田兆治さん(68)が提唱し、2008年に始まった「離島甲子園」。各地の離島を巡回し、島の中学生たちが参加している。


過去最多700試合をライブ中継 バーチャル高校野球で全試合中継の大会も


夏の甲子園、歴代最高の試合は? 投票ベストゲーム


昨年の大会最終日。「対馬ヤマネコボーイズ」(長崎・対馬)の選手たちが交流会で沖縄のチームと島唄を歌ったり踊りをまねしたりしていた。普段は「おとなしい」島の子どもたちの笑顔に、監督の中庭八寿彦さん(50)は驚かされた。


対馬で生まれ、中学で野球を始めた中庭さん。高校で島を離れ、海星(長崎)へ。4番打者で活躍し、甲子園に出場した。高校卒業後は社会人野球を経て、福岡市で就職。30歳を過ぎ、父親の病気を機に戻った。


午前中に魚介類の卸業の仕事をこなし、夕方はボランティアで母校の雞知(けち)中を指導する。細かい技術指導よりも「楽しくやること」を心がける。ただ、島にチーム数は三つ。試合数をこなせないのが悩みだ。


対馬出身で、離島甲子園にも出場した創成館(長崎)の村瀬壮希君(3年)は春の選抜で記録員とてベンチ入りした。帰省する度にOBらで集まり、試合相手になっている。「いつかは島で野球の指導をすることも頭にはあります」


離島甲子園に出た子どもたちが今も野球を続けたり、指導者をめざしたり。マサカリ投法で40歳まで現役を続けた村田さんは大会を始めた理由を「離島の子どもにとって、夢ははるか遠いところにある。交流の場があれば、そこに『きずな』が生まれるから」と言う。「次世代を育てることが私なりの恩返しです」




 

新闻录入:贯通日本语    责任编辑:贯通日本语 

  • 上一篇新闻:

  • 下一篇新闻:
  •  
     
     
    网友评论:(只显示最新10条。评论内容只代表网友观点,与本站立场无关!)
     

    注册高达赢取大奖!

    09年2月《贯通日本语》杂志

    是枝裕和作品《小偷家族》票房

    “乃木板46”成员斋藤飞鸟的写

    泽尻绘里香出席上影节:“想学

    日本筑波植物园内巨魔芋开花 被

    广告

    广告