中学生を指導する中庭八寿彦さん=2018年6月12日、長崎県対馬市
島の子どもに夢と希望と勇気を与えたい――。元プロ野球投手の村田兆治さん(68)が提唱し、2008年に始まった「離島甲子園」。各地の離島を巡回し、島の中学生たちが参加している。
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昨年の大会最終日。「対馬ヤマネコボーイズ」(長崎・対馬)の選手たちが交流会で沖縄のチームと島唄を歌ったり踊りをまねしたりしていた。普段は「おとなしい」島の子どもたちの笑顔に、監督の中庭八寿彦さん(50)は驚かされた。
対馬で生まれ、中学で野球を始めた中庭さん。高校で島を離れ、海星(長崎)へ。4番打者で活躍し、甲子園に出場した。高校卒業後は社会人野球を経て、福岡市で就職。30歳を過ぎ、父親の病気を機に戻った。
午前中に魚介類の卸業の仕事をこなし、夕方はボランティアで母校の雞知(けち)中を指導する。細かい技術指導よりも「楽しくやること」を心がける。ただ、島にチーム数は三つ。試合数をこなせないのが悩みだ。
対馬出身で、離島甲子園にも出場した創成館(長崎)の村瀬壮希君(3年)は春の選抜で記録員とてベンチ入りした。帰省する度にOBらで集まり、試合相手になっている。「いつかは島で野球の指導をすることも頭にはあります」
離島甲子園に出た子どもたちが今も野球を続けたり、指導者をめざしたり。マサカリ投法で40歳まで現役を続けた村田さんは大会を始めた理由を「離島の子どもにとって、夢ははるか遠いところにある。交流の場があれば、そこに『きずな』が生まれるから」と言う。「次世代を育てることが私なりの恩返しです」