朗読する中村みちるさん(右)=30日午後、広島市中区、森井英二郎撮影
原爆投下から間もなく71年を迎える広島。30日に開催された全国高校総合文化祭の総合開会式では、被爆した高校生が60年あまり前に残した詩を、同年代の若者が平和への祈りを込めて朗読した。題名は、「僕は死ねない」――。
特集:2016ひろしま総文
開会式の会場となった広島市中区の県立総合体育館。制服姿の高校生がスポットライトで浮かび上がる。そばでショパンのノクターン「遺作」の調べを奏でるのは、爆心地周辺にあり、その後修復された「被爆ピアノ」。厳粛な雰囲気の中、県立尾道北高校放送部の中村みちるさん(3年)が朗読を始めた。
◇
《うつむいて
一生懸命ノートしている授業中
いきなり
ポタリと鉛筆のさきへ鼻血がちった
とめどなく
ノートの字を染めつぶして
血はいつまでも止まらなかった》
◇
爆心地から約3キロの自宅で10歳のときに被爆した、故・徳納(とくのう)晃一さんの作品。徳納さんは高校2年生のときに「死」を強く意識した、この詩を書いた。
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《死
すきがあれば心のすみのどこからか
頭をもたげようとすることば
死》
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文芸には強い関心を持っていた。電気設備会社で働きながら地元紙に童話を連載。1961年に早川書房が主催した「第1回空想科学小説コンテスト」では、小松左京と並び最終候補作に選ばれたほど。結婚して2女をもうけたが、家族に被爆体験を語ることはほとんどなかった。
長女の北古賀恭子さん(56)=広島市安佐南区=には幼いころ、一度だけ被爆体験を聞いた記憶がある。死体がたくさん転がっていたこと、その間をまたいで歩いたこと……。
「父には心の傷があったのかな。『聞いたら悪い』という気がして、その後も私からは聞けなかった」
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《だが僕は死なない
あの原子爆弾のために
だまって死んでしまえるものか》
◇
徳納さんは3年前、78歳で死去。もっと話を聞いておけば、後世に思いを伝えることができたのにと、今も悔やんでいる。
開催地が被爆地・広島となったことから、総文祭の実行委員会は平和への思いを高校生らに共有してもらおうと、徳納さんが高校生のころ書いたこの詩を取り上げることにした。恭子さんがこれを機に読み返すと、寡黙だった父がこれほど強い怒りを抱いていたことに改めて驚いた。
「普通の男の子が、自分の生死を深く考え、詩にした時代があったんですね」
◇
《原子爆弾が地球のいたるところに
光って落ちて人の命をうばって
地球上いたるところに
僕のような運命をむりやりにせおわされて
悲しい人びとができていいものか
僕は死ねない
そっと腕をまくってみる
まだ斑点は出て来ない。》
◇
朗読が終わると、会場は静まりかえった。
開会式終了後、中村さんはこう語った。「本番の今日が一番、詩の世界に入りこめた。同じ高校生が書いたとは信じられないけど、死の恐怖や原爆への怒りを『私が代わりに伝えるんだ』くらいの気持ちで読みました」(広江俊輔)