シートの配布が中断され、長い列ができた=22日午前9時52分、鳥取県倉吉市役所、高橋孝二撮影
鳥取県中部で21日に起きた震度6弱の強い地震。余震が続く中、住民たちは避難所や自宅、車中で一夜を明かした。また大きな揺れが来るのでは――。小雨が降る中、不安を抱えながら被災した自宅の修理に取り掛かる姿もあった。
震度6弱を観測した鳥取県倉吉市の市立上灘小学校の体育館では、300人ほどの住民が毛布に身を包み、朝を迎えた。寒さが残る午前7時半ごろ、市の職員が「朝食が届きました」とアナウンスすると、住民は菓子パンを手に取り、安心した表情を見せた。
親戚7人で避難した進木(しんのき)雅也さん(36)は、3人の娘にパンを配った。自宅は「へそから上のものは全て床に落ちた」。「いつ再び大きい地震がくるかわからない」と、1週間ほどは自宅と避難所を行き来するつもりだ。余震が続き、熟睡できなかったという長女の優磨(ゆま)ちゃん(12)は「おいしいけど、早く家でご飯が食べたい」とこぼした。
午前9時半ごろには、同県米子市水道局の給水車が飲料水の提供を始め、住民らが容器を持って集まった。
震度6弱の同県湯梨浜町が避難所を開設した高齢者福祉センター「東湖園」には、一時は50人以上が身を寄せた。高齢者が多く、朝は地元の住民から届けられた梨などを食べた。パート従業員の女性(68)は、ひざの悪い義母(92)らと避難。夜間に何度も余震が襲い、その度に「また来た」という声が部屋に響いた。女性は「あんまり寝ていません」と話すが、揺れが収まるまでは帰宅する踏ん切りがつかないという。
震度5強だった同県三朝(みささ)町の町総合文化ホールの駐車場では、10台近くの車で車中泊をする人がいた。山下勇さん(58)は「ホールは人がいっぱいで気が休まらない」と、娘と2人で車の中で一夜を過ごした。毛布にくるまって寝たが、満足に足を伸ばせず、疲れがたまったという。「避難所で過ごすか家族と相談するが、余震もあるし、不安で迷っている」
湯梨浜町の「ハワイアロハホール」の駐車場では十数台の車が夜もエンジンをかけ、車中泊をしていた。保健師らが「(ホールの)中は足を伸ばせますから、つらくなったら入って下さいね」と声をかけて回ったという。
鳥取県などは22日、各地の避難所に保健師を派遣。車中泊はエコノミークラス症候群になる恐れがあるため、適度な運動や水分補給をするよう求めるチラシを配布するなどして注意を呼びかけている。
同県北栄町国坂では、地区の住民ら約15人が集落内の広場にあるビニールハウスへ自主避難し、ストーブ2台を囲んで暖を取りながら夜を明かした。自治会長の山信幸朝さん(73)によると、15年ほど前に不要になったブドウ栽培用のものを譲り受け、設置したもので、普段は地区の行事などで使っていた。時折横になったり、車に行って仮眠したりしたが、余震があるたびに目が覚め、ほとんど眠れなかった。それでも「まさか地震で役に立つとは思っていなかった。ここなら何も落ちてくるものはないので、みんな安心していた」。明るくなり始めると、それぞれ自宅の片付けに戻ったという。
■市職員に詰め寄る住民も
鳥取県三朝町では22日午前9時ごろから、小雨が降り始めた。屋根瓦がはがれ落ちた家屋が多く、住民たちはブルーシートを屋根にかぶせる応急処置に追われた。
町役場には、朝から「雨が降る前に何とかしてほしい」「応急処置でいいのでシートのようなものを配ってくれないか」などの要望が相次いだ。町は備蓄分や同県岩美町から届いた大量のシートなどを配布。屋根の上での作業ができない高齢者のため、県に支援を要請した。
倉吉市上灘町地区でも同様の心配が高まる。自宅で一夜を過ごした会社員の小谷勝夫さん(65)は小雨の中、自宅の被害を確認。「雨が降れば雨漏りしてしまう。それが一番心配だ」と話す。
倉吉市は22日早朝、市役所で住民にブルーシート4600枚の配布を始めた。だが、午前8時ごろには底をつき、配布を一時中断。市役所周辺は配布再開を待つ住民でごった返し、「まだ配らないのか」と職員に詰め寄る場面もあった。
市は県から届く予定の3千枚を待ちながら住民に整理券を配布している。整理券を手にした会社員男性(50)は「1時間半ぐらい待った」と疲れた顔つきで話した。
避難所で一夜を過ごした会社員長栄強さん(49)は、21日にホームセンターでブルーシートを買った。業者に依頼しようとしたが注文が多く、すぐには対応してもらえそうになかったため、自力で応急処置をする予定だ。
「熊本地震のように、さらに大きな揺れが来るのが怖い」。家の中は棚が倒れるなどして散らかったが、また大きな揺れが来るかもしれないと思うと、片付けは後回しだという。